京王沿線らしいお店がずらりと並び、挙げ句の果てに京王電鉄の本社まで、聖蹟桜ヶ丘駅のすぐ近くに建っている。つまりは京王電鉄さまのお膝元。そんな駅をキラキラ駅名などと言ってしまったのだから、これはとても怒られそうだ。すみません……。
それはともかく、つまるところ聖蹟桜ヶ丘駅は京王線において特別なターミナルのひとつというわけだ。特急列車も含めてすべての列車が停まるし、駅の周りに京王系の商業施設が勢揃いしているのだからそりゃそうだろう。
さらに駅前から川崎街道を渡ったところには「聖蹟桜ヶ丘OPA」もある。この駅周辺のあれこれで、あらゆる用事が済んでしまう。いかにも東京郊外のベッドタウンの中核ターミナルらしい雰囲気の駅である。
ヘアピンカーブを登っていくと高台の風景
せっかく聖蹟桜ヶ丘に来たのだから、まずはほんのちょっとだけ“耳すま”聖地巡礼をしておこう。駅前から川崎街道を渡ってそのまままっすぐ歩く。ホテル桜ヶ丘というこの町にはいささか不釣り合いだがなぜか風景に溶け込んでいるラブホテルがあって、そのすぐ先には大栗川を渡る橋。そしてこの橋の向こうに、急坂が待ち受ける。
急坂は「いろは坂」という日光を思い出させるネーミングのヘアピンカーブを繰り返す坂で、多摩川沿いの低地から一気に台地上に駆け上っていく。このあたりから、もう耳すまファンは心が沸き踊るに違いなかろう。坂の途中の公園から聖蹟桜ヶ丘駅周辺を見下ろす風景もまた、実にいい。
実際に、どう見たって耳すま聖地巡礼中だろうとおぼしき人たちが何人かいた。坂を登り切ってさらに南に突き進んでいくと桜ヶ丘ロータリーなどもあって、耳すまファンなら垂涎モノ。が、さすがにそこまでいくと聖蹟桜ヶ丘駅から離れすぎてしまうし目的が変わってしまうので、高台から町を見下ろすぐらいにしておいた。
“多摩の田園調布”にバイク族が…?
このいろは坂の上の高台は、かつて京王電鉄(当時は京王帝都電鉄)が「桜ヶ丘住宅地」として開発した高級住宅地だ。もともとは特に語るべきものなど何ひとつないような、雑木林ばかりの高台だった。
そこに京王さんが目をつけて土地をまるごと買収して大規模開発。1962年から分譲を開始している。京王にとってはつつじヶ丘に次ぐ宅地開発だった。
今はどうだかわからないが、少なくとも分譲直後から数十年は東京近郊では指折りの高級住宅地で、著名人も暮らしていたという。なんでも、“多摩の田園調布”。こういう“○○のダルビッシュ”的な呼び名は二番煎じ感が否めないものだが、桜ヶ丘はそんなことはなく、高台からの眺望にも恵まれたなかなかの高級住宅地だったのだ(ちなみに、昭和の終わり頃にはいろは坂のヘアピンカーブで腕を競うバイク族が夜な夜な集まって住民を困らせていたらしい。耳すまの世界観とはえらい違いですね……)。
なぜ「聖蹟桜ヶ丘」という名前が?
さて、ここで聖蹟桜ヶ丘の名のヒミツ。桜ヶ丘住宅地の開発は全国各地にニュータウンが勃興し、“キラキラ地名”が続々と生まれた1960年代だ。だから、聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘は、この住宅地から名前をいただいたものなのではないか……。