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 佐太郎は期限の4月29日に上告した。それは自叙伝完成に時間が欲しかったためだとされる。同年7月2日、上告棄却。佐太郎は藁谷弁護士に講談本などの差し入れを頼み、読んでいたようだった。

控訴審判決も、死刑だった(東京朝日)

佐太郎の最期

 そして同年9月28日発行29日付東京日日夕刊にはこの記事が――。

佐太郎の死刑執行を伝える東京日日

 残忍凶暴の色魔として一世を震駭させた東京府下北豊島郡志村新坂2974、土工・吹上佐太郎(36)は、一審、二審とも死刑の判決確定し、その懺悔録「娑婆」も世に出た28日午前10時、北條控訴院検事立ち合いの下に市谷刑務所で死刑を執行された。辞世にいわく「左様なら一足先へ死出の旅」。

「底辺―人非人吹上佐太郎伝」などによれば、死刑執行前、佐太郎は悠々と仏前の供物を食べてお茶を飲み、しばし黙祷した後、立ち合い検事に「やはり多くの霊に対して私は死ななければならぬ」と語った。最後まで落ち着いた態度だったという。

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 辞世の歌も残されている。「屠殺場へ廻り行く世の小車や 牛の心を 誰(た)が知りて見る」

「娑婆」は本来3部作のはずで、第1部は佐太郎の死の直前に世に出たが、すぐ発禁になった。「公序良俗に反する」という理由だったのだろう。2部、3部は出版されないまま終わった。

自叙伝の出版を報じる読売。3部作のうち第1部しか出版されなかった

 冒頭の題字は「我がエロトメニアの犠牲になりし少女達へ本書をささぐ」。佐太郎は文中で自分のことを「神州麿(あすまろ)」と自称し、破天荒な半生を振り返っているが、強い自己顕示欲と破綻した性格にへきえきするところもある。しかし、「家庭環境などによって、種々な人間が現出することになる。白い心の乳児が、貧という黒い墨つぼに陥り、未熟な染色工によって取り扱われたとすれば、どんなものが出来上がるであろうか」という指摘など、一読の価値はある。

佐太郎の筆による自叙伝の題字。自身を「神州麿」と称していた(「娑婆」より)

吹上佐太郎が現代に残したもの

 佐太郎の性的欲求が女性のうち特に少女に向かったのは、反抗される可能性が低かったからだろう。逆にいえば、常に強いものを恐れていたことになる。「娑婆」などを見ても、佐太郎は女性との性交渉よりも、女体を眺め、触ることに異常な関心と執着を持っていることが分かる。それも彼の犯行の特徴だろう。

「小児性愛」と呼ばれる性犯罪はいまも絶えない。「吹上佐太郎」は約1世紀前の伝説的な性犯罪者ではなく、現代にも生きているといえるのかもしれない。佐太郎が書き残したもので、特に現代においても教訓的なのは、「自分のような人間を生み出さないためにも」という思いを込めたのだろう、次のような「遺訓」だ。

1.子どもにはいかなることがあってもひもじい思いをさせぬこと
2.就学年齢に達した者には必ず教育をほどこすこと
3.遊ぶべき時は専心遊ばすべし
4.親はありがたいもの、家庭は楽しい所という感を与えることに留意すること
5.子どもの目に触れるところで猥褻なことを言わず、かつしないこと

【参考文献】
▽「警視庁史 大正編」 1960年
▽加太こうじ「明治・大正犯罪史」 現代史出版会 1980年
▽森長英三郎「史談裁判」 日本評論社 1966年
▽吹上佐太郎「娑婆 吹上佐太郎自叙伝」 巌松堂書店 1926年
▽「思想の科学」第7次6月臨時増刊号「犯罪事典」 1983年
▽中野並助「犯罪の縮図 検察38年の回想」 開明社 1948年
▽小沢信男「犯罪紳士録」 筑摩書房 1980年
▽井上泰宏「性の誘惑と犯罪」 あまとりあ社 1951年