少女27人を暴行したとして起訴
1924年8月9日、佐太郎は少女27人( 10~15歳未満 16人、15歳以上11人)を暴行し、うち6人(10~15歳未満 4人、15歳以上2人)を絞殺したとして起訴され、予審に付された。予審判事はうち、群馬県の2件(沼田町の12歳と小野上村の11歳)と長野県の1件についてだけ公判に付す決定をした。
「史談裁判」によれば、これに対し佐太郎は「さて物足りん。歯がゆいかな」「あの6件の強姦殺人罪を全部公判に付されてこそ、安心して死に就けるのに、ただこの3件だけを公判に付すに足る嫌疑十分なりとし、他の3件に虚偽の陳述なりとみなすに十分なる証拠ありとせば、黙視はでき難い事情がある。国家を誤る恐れがあるからである」として抗告した。
同書は「検事の論告みたいである」と批評。同書によると、当時の司法省刑事局の内部文書「著名刑事事件記録解説」は「形式証拠にとらわれて事実認定に怯懦(臆病で気が弱い)な裁判官をあざけったものと思われる」と佐太郎に“同意”した。
「どうしても死刑は免れまいな」「もちろん、死刑は当然だよ」
その後、佐太郎は「神経衰弱」を理由に公判延期を申し立て、やっと翌1925年に始まった公判で、佐太郎は終始反抗的で犯行を否認し通した。官選弁護人の藁谷政雄弁護士がなだめるために自伝を書くように勧めると、やっと気分をおさめ、執筆に没頭したという。それが「娑婆」だった。判決は同年5月7日。上毛はこう報じた。
果然吹上佐太郎に 死刑宣告 不服らしく反問して 何所迄(どこまで)も圖(図)太い態度
色魔殺人鬼、佐太郎の最後の審判の日は来た! 前橋地方裁判所は昨朝、開廷前から、せめて顔だけでもという、縁もゆかりもない好奇心に燃えた傍聴者がよもぎ(色)にもえた芝生に単座し、「どうしても死刑は免れまいな」と1人が微温的に言うと、「もちろん、死刑は当然だよ」と断定的に片づける。さながら民衆裁判を現出している。
開廷が30分遅れて、人類学者ロンブローゾが研究発表した「多角的な殺人典型」の風貌を有している佐太郎が第一法廷に入廷するや、傍聴者は一様に視線を投げ「この野郎!」と暗黙のうちに怨嗟の表情を示す。
ロンブローゾは19世紀に活躍したイタリアの犯罪生物学者。処刑された囚人の遺体を解剖して、「犯罪者には一定の身体的・精神的特徴が認められる」ことを発表して注目された。それを引用した気持ちは分かるが、記事に力が入りすぎている印象だ。
「被告に死刑を宣告す」
柴田裁判長は起訴事実を認め、「既に犯証は明らかであるから、被告に死刑を宣告す」と述べた。これに対して佐太郎は――。
佐太郎の顔面神経はピリッと冷たい予感におののく。所在なさに手に触れた硯(すずり)石をしっかりと握り返す。「こりゃ、投げつけはせぬか」。傍聴者もさっと恐怖の色を漂わせて唾をのむ。すると、(退廷が)しんがりになった高橋検事に対し「ちょっと、ただいまの判決に対しておうかがいしたいことがあるが」と、いけずうずうしくもこの判決に不服らしく、反問しようとした。高橋検事は怒気を含み「聞きたいことがあるなら、書面で聞きたまえ」とずけずけ言い残して立ち去る。かくして天下の耳目を聳動(しょうどう=恐れおののく)せしめた大凶漢佐太郎の審判も開廷時間わずか15分で閉廷となった。