じつは“一般的じゃない”善光寺の個性
駅前から少し西に進んで末広町の交差点へ。この末広町の交差点は、かつての北国街道で、同時にまっすぐ北へ行くと善光寺。すなわち善光寺の参道という役割も持つ。沿道はオフィスビルから商業施設まであらゆるビルが並ぶ繁華街になっている。少しだけこの参道を善光寺に向かって歩いてみよう。
善光寺は7世紀に創建と伝わる古寺で、宗派を問わない懐の深さや古くから民衆の間で信仰を集めていたことなどで知られる。7年に一度の善光寺御開帳も多くの観光客を集める長野の一大イベントだ(ちなみに今年はその7年に一度の年でした)。
一般的に、古いお寺や神社は偉い人(朝廷や幕府、大名など)に手厚く保護されて発展するのが常なのだが、善光寺に限っては庶民信仰から発展したという他の神社仏閣とは少々違う趣があるのだ。それからして、その門前町である長野の町の個性がうかがえる。
また、善光寺の参道は北国街道という街道筋を兼ねる。江戸時代には門前近くに宿場町も設けられた。庶民信仰のお寺と街道の宿場町。そこから長野の町は発展していったというわけだ。
旧北国街道、善国寺参道を歩いて行くと、ほどなくかるかや山前という交差点にぶつかり、さらに進むと新田町の交差点。参道らしさが色濃くなっていく。そして新田町の交差点にはTOiGOというテレビ局(SBC信越放送)の入った複合ビルがあり、東西には昭和通りという大通りが通っている。
この町に起こった「百貨店戦争」
実は、駅前にあった東急百貨店も、かつてはこの新田町の交差点にあった。1958年に地場の百貨店・丸善銀座屋として誕生している。その頃にはいまのTOiGOの場所に長野丸光という百貨店が既に存在しており(長野丸光は1949年に権堂町で開業した長野市内でいちばん古い百貨店)、互いに激しくお客を奪い合ったという。
ふたつの百貨店が向かい合う交差点ということは、すなわちその場所が町にとって最大の商業地であるということだ。東京の日本橋に三越や高島屋、銀座にも三越と松屋があったりするように、複数の百貨店が共存している場所は、相当のパワーがある町なのだ。
長野の新田町交差点ももれなくその通りで、南北に通る北国街道・善光寺参道と、東西の昭和通りが交わる道路交通の要地として大いに栄えていたのである。