基本的に賽銭箱は、上部が梯子状になっていて、中に入っているお金に手が届かない構造になっています。では、どうやって犯行に及んだのか。木野目稲荷の賽銭箱は、それほど大きなものではありません。泥棒は、強引に持ち上げて、ひっくり返したのです。しかし、この戦術が裏目に出ます。ジャリジャリとお金が鳴る大きな音がしたからです。この音を不信に思い、近所の住民が、神社に駆けつけた――これが現行犯逮捕の一部始終でした。
木野目稲荷神社は、住宅街の中にあります。泥棒は「近所の人が、賽銭を多く入れているだろう」と思い、この神社を狙ったようです。
あ、被害額ですか? 1000円程度でした。この神社は、近所の方が日常的に参拝する傾向が強いため、一度に奉納する金額は少額です。この泥棒は、読み違えてしまったのです。
ちなみに賽銭泥棒の被害で、神社にとって一番キツイのは、賽銭箱を壊されることです。その修復に100万円程度かかることもあるからです。
財布の中には“穢れたお金”が、紛れこんでいる
賽銭泥棒は窃盗罪にあたり、10年以下の懲役が科せられます。この泥棒は、盗もうとした金額はたった1000円程度で警察のお世話になってしまったのですから、「なんて俺は運が悪いんだ」と、悔しい気持ちを抱いていたはずです。しかし、私は逆に「この人は、運がよかった」と、心から思いました。
なぜ、お参りに来た人は、賽銭箱にお金を奉納するのでしょうか。「金は天下のまわりもの」という言葉があるように、お金というものは、いろいろな人の手元を経由して、あなたの手元にやってきます。
財布の中を覗いてみてください。1円硬貨、100円硬貨、500円硬貨、1000円札、1万円札……。さまざまなお金が入っていることでしょう。これらのお金の元所有者の中には、それこそ賽銭泥棒など、悪事を働いて、そのお金を手に入れた人もいます。そうです。あなたの財布の中には“穢れたお金”が、紛れこんでいるものなのです。
そこで私たちは、賽銭箱を前にして、取り出したお金に“穢れ”の思いをこめて、それを奉納しているのです。「え? そんな思いをこめたことはないけど……」という人もいるかもしれませんが、大丈夫です。賽銭箱に入れることで、自然に、そのお金には穢れがこめられています。
こうして“穢れたお金”を神様に捧げることで、あなたが所有する残りのお金はきれいになります。
つまり、です。
この賽銭泥棒は“穢れたお金”をフトコロに入れようとしたことになります。1人だけの“穢れたお金”ではありません。何十人何百人もの人々の“穢れたお金”を自分のモノにしようとしたのです。
もし捕まらなかったら、この泥棒は“穢れたお金”に囲まれて、人々が捨てた穢れを、背負いながら生きることになったのです。生き地獄とは、まさにこのことです。しかし、この人は捕まりました。“穢れたお金”を手にしないですんだのです。だから運がよかったといえるのです。