教頭は「お母さん、わがままを肯定したらあかんやん」
2月には、ミチコさんのハンカチが教室のゴミ箱から発見された。母親は学校に原因調査を求めた。
「教頭からは『ミチコちゃんは嘘つくから』『ワカガマだから』と言われました。校長からも『自作自演』『低次元のいじめだから保護は開かない』と言われました。そのため、市教委に相談したんです。すると、担当職員は『誰がやったかやっていないかわからないということ、ミチコさんもそこ(容疑者)に含まれる』などと言われたんです」
その後も、友人らとのトラブルがあったという。母親は学校に対して、ミチコさんが発達障害であり、他人とのコミュニケーションが苦手であることを同じ学年の児童や保護者に説明してほしいと要望した。しかし、十分な対応がなかった。
「3年の担任には、『発達障害は診断する先生によって変わる。頑張れば、乗り越えられる、お母さんは発達障害の本を読みすぎです。普通学級で頑張らせます』と言われました。結局、その後は、配慮がされないままになり、加害児童には『うざい』『死ね』などと言われたりしました」
いじめを受けた結果、ミチコさんは登校することで精神的苦痛を抱くようになり、転校を希望するようになった。4年生進級前の春休み、母親は「いじめを理由とする越境通学」を市教委に求めた。しかし、担当職員は「いじめを理由とした越境通学はできない」と回答した。母親が文部科学省へ問い合わせをすると、「市教委の回答は間違い」ということだった。文科省は市教委に指導した。
「それでも、市教委の担当職員は『いじめを理由とした越境通学はできるが、いじめを受けた児童を受け入れる学校がない』と言いました。そのため、ミチコは4年生進級時のタイミングで転校できなかったんです」
交換ノートの名前や思い出が、鉛筆やボールペン消されていた
4年生では、始業式から学校へ行けなかった。
「4年のときは、1日も一人では普通学級で過ごしていません。学校へ行けたとしても、母親や支援学級の担当教諭が同伴で普通学級に入るか、支援学級にいました。給食のときは、同じクラスから(給食を食べる)希望者を募っていました。そのため、希望者と娘が、支援学級で給食の時間を過ごしていました」
ミチコさんは、サトさんやマイさんから受けたいじめの影響で、4月には登校できず、5月末の運動会に参加するためにゴールデンウィーク後に登校を再開した。しかし、サトさんやマイさんの無視や仲間はずれが再発した。その後、サトさんやマイさん、もう一人の児童としていた交換ノートがあったが、ミチコさんが内容を確認すると、交換ノートに書かれていたミチコさんの名前や、ミチコさんとの思い出に関する記述が、鉛筆やボールペンを使って消されていたことがわかった。
「加害の2人以外の子が娘に交換日記を返してきたんです。開けてみたら、娘の名前が消された状態でした。私もその場にいました。うちの娘の名前を消しているのです。交換日記をしている、他の子たちのことを『大好き』と書いているのですが、あえて娘のことは書いていないのです。これを見て、娘はショックを受けていました。交換日記の件は、市教委も関与して、謝罪の場が設けられました。でも、相手方の保護者は来ませんでした。加害の子どもだけがきて謝罪をしました」