坂本は初公判冒頭から病気を理由に「きょうは中止してくれ」と哀願したが、裁判長は、前日の監獄医の診断書では病気になっていないとして裁判を進めた。坂本は「きのうの診断書できょうの私の体が分かりますか」と食い下がった。
仕方なく、裁判長は監獄医を呼んで法廷内で診断させたが、進行に差し支えないとの診断が出たので、坂本の声に耳を貸さず進行させた。坂本は「長く立っていたので足がこんなに腫れた」と言って片足を柵の上に上げたので、廷吏が躍りかかって取り静めた。
坂本は「明治聖代の裁判とは思えない」と怒鳴ったり、「まるで拷問にでもかけられているようだ」と食ってかかったりした。予審と同様、強盗だけの事件は認めたが、死刑につながる殺人が絡む事件は知らぬ存ぜぬで否認し通した。
ごねにごね、手に負えないトラブルメーカーぶり。当時の裁判は早く、第2回公判は翌3日にあった。坂本は前日同様、病気を理由に中止を求めた。
「裁判長はきのう裁判が終わったら診察させると言ったのにさせてくれない。被告をたばかるものだ。圧制だ。きょうは腹痛で何も言えない」などと発言。また柵に足を上げた。裁判長は不当な行状として退廷を命令。被告人不在の法廷で証拠調べをした。
10月5日付報知によると、看守に取り押さえられた坂本は「サア殺せ、殺してみろ」と絶叫。「裁判官はナ、法律をくぐる道徳上の罪人だ」となじった。
引き立てられて退廷するときには「泥棒裁判官、いま俺が歌を詠ってやるから」と言って、「盗人は夜出るものと思いしに法律(おきて)をくぐる昼の盗人」と声高に詠った。
そして判決が…
そんな騒ぎのすえ、1899年10月7日付東朝は1面トップの「電報」欄に短く報じた。この段階でも名前はいいかげんだ。
稲妻強盗死刑宣告 六日水戸特發(発)
稲妻強盗・阪本慶次郎、本日裁判宣告あり、死刑に処せらる
同日付報知は「稲妻強盗の宣告」(6日午前11時5分水戸特派員電報)で次のように伝えた。
「本日(6日)は先に報じたように稲妻強盗の宣告日。裁判官を強盗裁判官と呼び、法律をくぐる罪人とののしり、神聖な法廷に未曽有の景況を現出させたこの人中の輩は死刑の宣告をされてどうか、暴れはしないかと人みな固唾をのんで公判廷を望んだ。午前10時40分、裁判長一同出廷。死刑を宣告したが、案外に静粛だった。稲妻は控訴した。控訴金20円(現在の約9万5000円)は波多野病院長が出す。控訴が成り立たず死刑ののちはその首をもらい解剖する約束で」
同日付読売を見ると、静粛だった理由が分かる。
「当日の被告の凶暴をおもんばかって出廷させず、後で判決を伝えたが、慶次郎は例のゴタクを並べて控訴するような様子だったという」
翌10月8日付東朝は「読み聞かされた彼(坂本)は別に悪びれた様子もなく、ニヤリと笑って、再び手錠をはめられ悠々退廷したという」。
実際に出廷していれば、読売のように書くことはあり得ないのではないか。
では、報知や東朝の記者は坂本を現認せずに書いたのか。その東朝は「波多野」を「水戸市済生病院長・波多野淳」とし、「大凶漢の脳漿は常人といかなる差異があるものか、解剖学上研究すべき価値ありと信じ」と書いた。首をもらう代わりに控訴費用を出すというのもなかなかすさまじいが、実際に金を出したのは別人だった。