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監獄署に送られた後、坂本の「改心」が始まった…?

 判決後の10月9日付読売には「稲妻強盗獄内に讀(読)書す」の記事が。

「死刑を宣告された後、獄吏に頼んで『善惡(悪)應(応)報論』と『日本道徳論』の2冊を借り受け、折々開いて読んでいるという」

 10月14日、坂本は東京控訴院(現在の東京高裁)での控訴審のため、身柄を移送された。土浦駅で故郷の方を見て「見納めと思ったか、二コリ笑ってこの世の別れを告げたが、駅の内外1000人からの群衆だった」と16日付報知。

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 読売は10月25日付でも、東京・鍛冶橋監獄署に送られた後のことを書いている。

「(監獄署側は)警戒を厳重にしたが、意外にも慶次郎の行状が正しいことは比類がなく、同署現在の刑事被告人800人余中、その謹慎さは彼の右に出る者はいないほど。署員はいずれも不思議に思っているという。最近、看守が慶次郎に『あぐらをかいてもいい』と言ったが、彼は依然端座して終日体を崩さず、典獄に頼んで借りた振り仮名付きの仏書を余念なく読み入るとは意外千万と言うべきだ」

「改心」が進んでいたのだろうか。

控訴審では「猫のごとく従順」とも書かれたが…

 しかし、同年11月14日に始まった控訴審では「猫のごとく従順」と新聞に書かれたこともあったが、相変わらずしたたか。

 強盗の犯行をただされると「窃盗のつもりだったが、新聞に自分の名前を広めさせるために強盗と称した」と供述。強盗殺人についても「誤って傷を負わせたが、そのために死んだのは気の毒千万」などと述べた。

 第2回公判では「例のでたらめな歌を声高々に詠った。その歌は『長き夜の闇路に罪は作れども晴れてこそ見よ有明の月』」(11月16日付読売)。同日付報知は「口も八町(丁)」の見出しを付けた。

報知は控訴審での坂本に「口も八町(丁)」の見出しを付けた

 11月18日の第3回では、裁判長が証人請求を却下したのに対し、裁判官全員を忌避すると申し立てた(のち却下)。一方で、12月23日の控訴審判決であらためて死刑を言い渡されると「もはや天の網にかかったうえは十分悔悟したから、決して乱暴などはしないので、よろしくお聞きください」と言って、また2首詠い上げた。

「くろがねの囚屋(ひとや)は逃れ出づるともあめの下には隠れ家もなし」「賤(しず)の男の曇る心は今ははや晴れ渡りけり冬の夜の月」(12月24日付読売)