放送時には、北鉄のモデルとなった現実の三陸鉄道北リアス線は全線復旧工事の最中にあり、翌2014年に南リアス線に続き全線が再開通した。三陸鉄道のある社員は、震災10年にあたり、『あまちゃん』の放映は《復興を目指す私たちの大きな励みになった》と振り返っている(「たびよみ」2021年3月15日配信)。
「もし、震災後から『あまちゃん』を書き始めても…」
ただ、東北の宮城出身の宮藤官九郎は、震災そのものを描くためのドラマではなかったと断言している。物語は震災前の2008年から始まるが、彼に言わせると《もし、震災後から『あまちゃん』を書き始めても、同じラストになっただろうなということです。同じように書いた、書けただろうと思う》というのだ(『AERA』2013年7月22日号)。これは最終回を前にしてのインタビューでの発言だが、続けて次のようにも語っている。
《それは地震が大きな問題じゃなかったという意味ではないですよ。あれほど大きなことが起こったけれど、それでも人間はたくましく生きる。笑ったり泣いたりしながら生きるしかない。そういう描き方をしたかった。そういう描き方しかなかったと思っています》
被災状況のストレートな描写が避けられ、被災者の心の傷などが描かれることもなかったのには、震災からまだ2年しか経っていないという時期的な理由もあったはずだ。実際、朝ドラで、被災者の負った心の傷が描かれるには、震災10年に合わせて放送された『おかえりモネ』(2021年度前期)まで待たねばならなかった。
『あまちゃん』が放送されたのは、ツイッターをはじめSNSの利用者が飛躍的に増えていた時期である。ただ、SNSやブログなどインターネット上で『あまちゃん』について書き込みをした人は、前出の世論調査の結果によれば、見た人のうち1%にすぎなかった。それでも、放送期間の前後を含めて番組に言及したツイート数は650万件を超え、『梅ちゃん先生』の12倍以上もあったという(NHK放送文化研究所調べ)。閲覧のみのユーザーをも含め、視聴者がSNSを通じてドラマの楽しさや感動を共有する時代が本格的に到来したのが、まさにこのときであったと言っていいだろう。