ジャガイモを薄切りにして油で揚げ、塩をはじめとした各種調味料をまぶしたもの。それがポテトチップスだ。日本においてポテトチップスは、スナック菓子売り場でもっとも良い場所に陳列されていて、その種類は目移りするほど豊富になっている。それほどまでに日本人にとって身近、かつ手放せないおやつであるポテトチップスが、 一体いつ日本に登場したかご存知だろうか。
ここでは、ライター、コラムニストの稲田豊史氏が、ポテトチップスを軸に戦後食文化史と日本人論を綴った『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新聞出版)より一部を抜粋。湖池屋の創業者・小池和夫氏について紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
◆◆◆
おつまみからおやつへ
小池和夫はもともと、和菓子屋勤めのセールスマンだった。1953(昭和28)年に独立し、東京都文京区目白台で創業するが、古巣である和菓子屋の競合になる甘いものを扱うのはまずかろうと考え、しょっぱいもの、つまり酒のつまみを製造することにした。「湖池屋」として会社を設立したのは1958(昭和33)年のことである。
当時は戦後の復興が進み、酒の国内需要が上がっていった時期。おつまみの売上も伸び盛りだったので、わざわざセールスに行かなくても、おつまみ問屋や菓子問屋のほうから買いに来てくれた。工場も順調に拡張していく。
現・湖池屋会長の小池孝が、父親とポテトチップスとの出会いを話す。「親父が仕事仲間とたまたま行った飲み屋でポテトチップスが出てきた。おそらく濱田音四郎さん(注:国産ポテトチップスの生みの親とされる人物)の作っていたものでしょう。戦中戦後の人は米を食べられずイモばっかり食わされてきたから、イモは代用食、まずいものだという扱いでしたが、食べてみるとこれがおいしい。『ジャガイモでもこんなにおいしくなるんだ!』と、親父はものすごく感動したそうです」
ただ、高価だった。後年、孝が和夫に聞いたところによると、今の物価に換算して1皿1000円くらい。「フラ印」のポテトチップスが1950年の時点で、既に35gで36円(現在の物価で800円前後)だったことを考えると、その数年後に、飲み屋の1皿でそれくらいの値付けであってもまったく不思議はない。
「だけど親父は考えた。こんなにおいしいものを、もしお菓子くらいの値段で大量に作ることができたら、すごく売れるだろうって」