高校受験、さっさとやめるべき
一般的に、日本の教育過程にはもう長年「高校受験」という大イベントが待ちかまえている。義務教育は中学までだけど、今はほぼ全員が高校に進学するから、ほとんどの子供が受験を経験する。ということで必然的に、公立の学校で中学3年生になると学校授業の主な目的が高校進学のための受験対策になる。
つまり高校受験は日本に生きていれば、15歳の若者にほぼ必ず訪れるものだ。
だが15歳というのは、人間として一番大切な成長期ではないか。
15歳という年齢は身体も精神も子どもから大人になる重要なタイミングで、あらゆることが大きく変化する。誰もがそうだろうが、まず自分の身体の変化にものすごく戸惑いを感じる時期だ。背も伸びるし、体も大きくなるし、毛も生えてくるし、生理的な体験もある。誰にでも来る思春期という成長段階で、他人に対する自分の気持ちや、他人からの視線にとても敏感になり、特に異性のことが気になってくる。
こういった心身ともに不安定な時期に、「高校受験」という大きな人生の分岐点が強制的に訪れるのは、とてつもない精神的負担になる。思い起こせば、当時の自分もかなりのストレスを感じていた。
そして不運にもそのようなストレスが学校内のいじめ問題にダイレクトに繫がっている、というのが自分の見解だ。
子どもたちは、自らの身体や心が変わってきて自分ともっと向き合いたいのに、大人から「今勉強しておかないと人生の敗北者になるぞ」と一方的に脅されて、暗記ばかりの詰め込み受験勉強を強要される。
ここで抱えるストレスが、「それなら他人を蹴落としてやろう」っていう気持ちにつながったとしてもおかしくはない。普通の人なら、誰でも他人より優越感を持ちたいと思っている。もし「お前、このままじゃ落ちこぼれるよ」と言われたら、「でも誰かより上に立ちたい。じゃあ自分より弱い者を蹴落としてやろう」となるのは一種の動物的本能だろう。先行き不安になることで劣等感が生まれ、それが屈折してしまうことが多くあるのだ。
今の日本の高校受験は、むしろそれを増長させる結果にしかなってない。
中学生の頃にいじめをしていた人たちも、こういわれたらハッとするんじゃないだろうか。確かに自分にも心あたりがないわけではない。
それに、みんなが同じ状況なんだから、受験をストレスと感じちゃいけないという同調圧力のような空気もある。「これは誰もが当然乗り越えるべき試練なのだ」という暗黙の了解だ。「前の年の先輩も、その前も、みんなこの受験を経験してきたんだから、これがこの国では常識なんだ。これを乗り越えられる人だけが立派になれるんだ」というプレッシャーも、それまで経験したことのないストレスになっている。
そしてそこに輪をかけるのが、日本の教室制度だ。何年間も同じ人が毎日顔を合わせる。すなわち30人くらいいる教室で、いつも同じ顔ぶれがそこで同時に得体の知れないストレスを年単位で受け続けている。冷静に考えるとこれはちょっと異常なことではないか。