どんな所でも同じ所に同じ人がずっといたら、どうしても人間関係の上でのヒエラルキーができるのは、これもまた人間の本能だ。
たとえば会社がそうなのだが、そこにはもともと役職やある程度の年功序列があるから納得できるけど、学校の教室はみんな同い年で立場に基本、上下関係はない。
そしてその中で、色々なタイプの生徒がいる。たとえば、体がデカくて力がありあまっているけど勉強はあんまり得意じゃない子がいたとする。その彼は勉強なんかほどほどにしてもっと楽しく生きたいのに、学校に行くといつもギスギスしていて、たくさん勉強する成績のいい子だけが褒められ、自分は落ちこぼれ扱いだ。
そんな場面に毎日いたら、「気に入らないから腹いせに誰かをいじめてやろう」となるのはわからなくもない。もちろん力があるからやっていいということではない。でも、成長期の子どもなら過度なストレスのせいで自分で自分を制御できなくなってしまうのも理解できる。この場合のいじめの原因は本当はその子でなく、そういう子を創り出す環境ではないのか。
今ある日本の受験システムや教室制度による日々のストレスが、子どもの純真な心をゆっくり殺していると言っても過言ではない。だから、一刻も早く受験システムと教室制度を見直すべきなのだ。
権威主義と虚栄心
受験や学校の事も含めて、子どもたちの問題についてはけっこう前から危惧している。
なぜかというと、子どもが子どもらしさを失うことの弊害が、どれだけ世の中に影響を及ぼすのかが心配だからだ。
江戸時代の日本は「鎖国」していたけど、武士が自発的に地元の子に読み書きを教える寺子屋という立派なものがあったり、今より大人が子どものことを考えていたのではないか。
しかし、それが今の大人はみんな自分のことしか考えなくなってしまった。第3章でまた詳しく書くが、日本の大人の心を蝕む「権威主義」と「虚栄心」が、今の日本人をこじらせてしまったように感じる。