「アイちゃんは、本当に顔が薄いね」――母親の言葉がきっかけで自身の見た目にコンプレックスを抱いた、少女時代の関あいかさん(現在26歳、タレントとして活動中)。

 当時まだ13歳だった彼女に美容外科での整形を決意させた「ある出来事」とは……? 自身が摂食障害・過食嘔吐に至るまでの道を描いた新刊『摂食障害モデル 165センチ、32キロだったわたしへ』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

小さい頃の関あいかさん。写真は整形前のもの(写真:本人提供)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

芸能の世界へ

 当時、私が唯一周りより優れていることといえば、手足の長さと身長の高さだった。中学1年生の時点で、もう165センチくらいあったんじゃないかと思う。

 ママの教育による食生活もあって体型も割と細かったし、これを活かせば私にも何かできることがあるんじゃないか?

 そこで思いついたのが、モデルのオーディションだった。

小さい頃からスラッとしていた関さん(写真:本人提供)

「私、これ受けてみようかと思うんだけど」

 当時好きで読んでいた中学生向け雑誌の「読者モデルオーディション開催決定!」というページを見せながら、早速ママに相談した。たしか『Hana*chu(ハナチュー)』って雑誌だったと思う。どうやらグランプリを獲ったら、そのまま特待生としてタダで芸能事務所の養成所に入れるらしい。

「いいじゃん。アイちゃんならいけると思うよ。絶対合格しよ!」

 ママは私の想像以上に乗り気になってくれた。

 どうせ学校には居場所ないし、もし合格できたら芸能の仕事を頑張って生きて行こう。私は思い切って、オーディションを受けることに決めた。

 書類審査を通過し、とりあえず面接までは無事に進むことができた。

 自分を表現することが苦手な私にとって、知らない人との面接ほど怖いものはない。正直、考えるだけで足がすくんだ。だけど、今さら迷っている時間はない。そう自分を奮い立たせて、会場へと向かった。

 会場には雑誌の編集者から養成所の先生まで、怖い顔をした大人がズラッと並んでいた。そこに女の子たちがひとりずつ前に出て、自分の長所や特技をアピールするという流れだ。

「それでは、何か特技があれば見せていただけますか?」

 自分のことをひと通り話し終わったら、次は一芸披露の時間がやってくる。私は、ずっと習っていたダンスを披露した。嫌々通っていたダンス教室の経験が、こんなところで活きるとは思っていなかった。おかげで審査員の反応も悪くなく、「もしかしたらいけるかも」という手応えがあった。

 受かればラッキー、くらいで受けたオーディションではあったけど、急に合格が現実味を帯びた気がして、フワフワと落ち着かない気持ちで結果発表の日を待った。