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 現在の湿地民は、4500年前のシュメール文明の石板のレリーフに描かれているのと全く同じような葦の家に住んでいる。僕らが舟大工に依頼して作ったタラーデの形も、やはり4000年以上前の遺跡から出てきた舟の模型とそっくり。文明の栄枯盛衰からは切り離されたところで、シュメールの生活文化を温存しているのは、「持続可能な社会」の生きた証ですね。

山田 目に見える景色の中で、生活が完結できることの強さ。仮に周りの町がなくなっても、彼らは最後まで生きていけるだろうね。水や食糧のようなライフラインは全部揃っているし。

高野 コロナ禍で、都市文明の脆弱さを僕らは実感したわけです。密集、密接、密閉の三密は都市の条件だし、家畜と人間が至近で暮らし、人同士も密集しているところに感染症は流行する。さらに都市は災害にも弱い。とくにイラク南部は高低差が少ないので、洪水が発生すると都市部は住居も農地も駄目になるわけですが、湿地民のマアダンは水牛たちと一緒にボートで移動すればいいだけで、生活に支障がない。自然災害に圧倒的に強いんですね。

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湿地帯の水牛たち ©高野秀行

山田 マアダンの人々は、本物の循環共生型の社会をつくり出している。90年代以降、世界中でアグロフォレストリーといって持続可能な土地利用の仕方が見直されていったけれど、そのはるか以前から彼らはその知恵を持っていた。

 湿地帯に分散して暮らす彼らは水牛をたくさん飼っていますが、水牛のうんこの一部を燃料として使い、残りの大半は魚が食べるので漁場が非常に豊かになる。これを専門的には「パストピシキュリチュール」と言いますが、牧畜と漁業を組み合わせた理想的な循環が成立している。

 似たような光景をアフリカでも見たことがあって、川べりの遊牧民の飼う家畜のうんこで魚がたくさん育って、それを目当てに漁師たちが集まってくるような場所もありました。マアダンの人々はそれをひとつの民族でやっているのがすごい。

山田隊長のイラスト

「俺はもう殺されるんじゃないかと思ったよ!」

高野 本当にそうですよね。隊長はものすごく絵がうまくて、湿地民の生活文化や民俗誌的な記録を克明にイラストにしてくれたのには、随分助けられました。葦の家のつくりとか、浮島のつくり方とか写真で見ても読者はわからないんですね。でも隊長のイラストがあると非常にクリアに仕組みがわかる。

 現地では似顔絵師として大人気でしたよね。

山田 思えば、50人以上描いたよね。ほとんどの絵は現地であげてしまったけど(笑)。

高野 イラク社会では外国人が女性の顔写真を撮るのは絶対NGなので、似顔絵ってすごく貴重なんですよね。ただ、似顔絵だって保守的な家では歓迎されるものではなく、かなりヤバイ場面もありましたよね。