夕食休憩明けの再開後、永瀬拓矢王座は香を成って手を渡す。このシリーズの特徴は、こういう手渡しが多いこと。挑戦者の藤井聡太竜王・名人は本局最長のほぼ1時間を使って、飛車の頭に歩を打ち、飛車の直射を消してから勝負に出た。
銀をぶつけて銀交換し、桂を中央に跳ね出したのだ。香から金を守っていた桂がいなくなり、渡した銀で飛車金両取りの割り打ちもある。捨て身の反撃だ。
永瀬はまたも踏み込んだ
永瀬陣も角取りに桂を跳ねられて危ない形だ。ここは香で金を取ってからいったん受けに回るだろうと検討していた。
だが永瀬はまたも踏み込んだ。銀で割り打ちをして、56手目、25分の考慮で△6六飛と、飛車を角と交換した。そして金を取り、先手の守りの金の上からごつく金を打ったのだ。控室で歓声があがる。この踏み込みも将棋AIは最有力と上げていたが、駒を渡すので怖いだろうと言っていた。だが現実にこの局面になってみると先手が困っている。
端攻めに続いて、永瀬はすごい踏み込みをした。事前の宣言どおり、人間を捨てているのか、恐怖心をなくすことができたのか。
藤井は飛車と香を刺し違えてから、桂で角を取り詰めろをほどいて、手番は握ったものの、飛車と桂を渡してしまった。ここで▲6五角と打てば3二金と5六金の両取りなのだが、この手自体は詰めろでないため、桂打ちから飛車打ちと王手で飛車を打たれて、藤井玉が先に寄ってしまう。
がっくり、がっくりと、何度も何度もこうべをたれて
藤井の駒台の角が横に曲がっている。秒読みでもないのに整えていないのは珍しい。そしてがっくり、がっくりと、何度も何度もこうべをたれた。形勢が態度にも駒台の駒にも現れている。軽く10回以上はがっくりした後に自信なさそうな手付きで▲2一飛と王手した。
私はこれは終わったなと思った。△3一歩とすれば「金底の歩、岩よりも堅し」、次に△3九飛の王手がある。合い駒を請求すると同時に▲3四角の筋を防いだ攻防手で、こんなぴったりの手はめったにない。それに、何よりも、私は藤井の対局態度を信用していた。
宮嶋と、△3一歩を打った局面を検討する。香を打たれても歩で受ければ大丈夫、ぴったり歩が足りているね、と話していると、宮嶋がハッという顔になった。
「あれ、▲4三銀と捨てる手がある。金で取らせて▲3二銀としたらどう受けるんだろう」
私が「飛車打ちで合駒を請求すると?」と聞くと、「角を合い駒して香を温存された場合がわからないです。金を引くと飛車を成ってから香打ちで後手玉が寄ってしまう。あれ、あれれ?」。
えっ、そんな難しい局面だったの? じゃあどうして藤井はあんなにうなだれているの?
永瀬の残り時間4分はあっという間に溶けた。やがて1分将棋になり、56秒まで読まれ、△4一飛と飛車を合い駒に打つ。私は第1局の△5一飛の自陣飛車を思い出した。
「なるほど永瀬らしい一手だ」と感心していると、誰かが「▲6五角はどうするんだろう?」と声を上げた。
その瞬間、控室にいたプロ全員の顔色が変わった。