宮部みゆきさんに読んでもらえるかも、と新人賞に応募
――それまでも小説を書いて新人賞に応募されていたんですか。
吉永 いえ、はじめて書いたのが「紅雲町のお草」でした。選考委員の宮部みゆきさんに読んでもらえるかもしれないという淡い幻想を持って書いてみました。人に読んでもらえるものが書けた気がしなくて、一度はゴミ箱に捨てたんです。だけどやっぱり長い時間をかけて一生懸命書いたんだから、まあ応募するだけしてみようかな、という感じでした。
――では、小説を書き始めたきっかけは何だったのでしょう。
吉永 中古のパソコンがうちに来て。夫が会社で要らなくなったパソコンを「お前使うか」ということで持って帰ってきたんです。私ももともと情報処理関係の仕事をしていたのでパソコンは使えたんですが、といって特別することもなく、じゃあ本読むの好きだから何か書いてみようかな、と。
――読書では、ミステリーが好きだったんですか。
吉永 ジャンルは関係なかったです。小説とも限らず、いろんなものを読んでいました。パソコンが来た少し前くらいに宮部みゆきさんの『火車』を読んで素晴らしい作品だとは思っていたんですね。それで、宮部さんが選考委員をされている短篇の賞があると知り、短いものなら書けるかなと(笑)。
ときに徘徊と間違えられる70代の主人公、お草の探偵ぶり
――はじめて書く作品で、70代という自分が経験していない世代、かつ探偵として動かすのも難しそうな存在を主人公にしたところに独自性があるなと思って。彼女が、近所の子どもに何かあったのではないかと勘づき、いてもたってもいられなくなる。
吉永 その時はお草を書きたいという意識よりも、子どもの虐待のことを考えていました。虐待はあちこちで起きている、本当に窓ひとつ向こう、壁ひとつ向こうで起きているのに、それが発覚した時、いつも周囲の人は「自分にはどうすることもできなかった」とか「あちらに連絡してもらえばよかった」とか、責任転嫁するようなことを言う。直に助け出せないものかなって、ニュースを見る度に繰り返し考えていたんです。お草のような人だったらやるんじゃないかな、という考えが先にあって、お草のお店のことや暮らしぶりというのは二の次でした。だから余計、「お草のシリーズを書かないか」と言われた時に、頭がそちらにいかなかったですね。
――お草さんは、町の問題に対し自ら行動を起こし、なんとかしようとしますよね。俊敏に動けるわけではないし、調べるため周辺をうろうろしていたら徘徊老人と思われることもあるけれど、それでも行動する。
吉永 お草は結構、若い時に失敗していて、後悔が大きい人なんです。昔、幼い息子を事故で亡くしていて、その時に周囲の誰かがひと言声をかけてくれたら助かったんじゃないかという思いが最初はあった。でも後になってから、それよりも自分が至らなかったんだと何回も思うようになります。そういう裏付けがあると、体力があろうとなかろうと赤の他人の子どもを助けるために行動することに説得力があるのではないかと思いました。無謀なことをしようとしますが、それだけの理由が彼女にはあるんです。