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《過去の判例でも、選挙の自由妨害について具体的な事例が挙げられています。「聴衆がこれを聴き取ることを不可能又は困難ならしめるような所為」(最高裁昭和23年12月24日判決)、「選挙演説に際しその演説の遂行に支障を来さない程度に多少の弥次を飛ばし質問をなす等は許容されるべきところである」(大阪高裁昭和29年11月20日)。つばさの党に対する家宅捜索や逮捕などの強制捜査は、現在の公職選挙法でも対応可能だということを証明しています。》

 さらに山崎監督は続ける。

《法改正して選挙期間中でも逮捕できるように適用範囲を具体化するのは危険です。必ず恣意的に運用される。選挙妨害を理由に市民が意見表明する機会すら奪われかねない。2019年の札幌で起きたヤジ排除とつばさの党を一緒に論じることは間違いであるだけでなく、その先に法改正につなげる意図があるなら危険ですらある。》

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見え隠れする「思想」

 では札幌のヤジとつばさの党は同じと書いた北國新聞の社説については?

《事実誤認に基づいた主張です。それだけでなく、「あろうことか高裁で『表現の自由の侵害』が認められた」と書いている。この言葉の背後には、時の政権に対して一般市民がヤジなどで批判することを許さないという思想が見え隠れします。》

 これまで取材してきた山崎監督は今回あらためてどう感じましたか。

《「またか…」というのが正直な感想です。要人を狙った事件や表現の自由が問われる事態が起きるたびに引き合いに出される。しかも、自分たちの主張を補強するために事実を捻じ曲げるだけでなく、声を上げた市民を攻撃する材料に使われる。公共の場での政治への意見表明を「ヤジ」という単語でしか説明できない政治文化の貧困が根本にあるのだと思う。日本には本当に表現の自由はあるのか。本当に民主主義国家なのだろうか、と感じます。》

 いかがだろうか。論調の違いは新聞の醍醐味であり読者が考えるきっかけになる。違いはあっていい。しかし「事実誤認に基づいた主張」は参考にならない。

 まず聴衆の「声」と候補者の「妨害」をごちゃ混ぜにせず、仕分けして議論していくのが最初の一歩ではないだろうか。