日々のニュースに流れる「事件」や「犯罪」は、ひとたび報じられた瞬間からガラスケースの向こうに陳列された展示品のようになってしまう気がする。犯罪者は犯罪者であり、悪は悪。私たちはその“自分たちとは違う特殊な人”のニュースを眺める。そこに自分たちと地続きの人間性や生活を見ることは難しい。
潔いタイトルに期待感が高まった。『犯罪小説集』はその名の通り、五つの犯罪にまつわる小説が収録された短編集だ。
女児が行方不明になったことで揺れる小さな村の夏。三角関係のもつれで店の客に内縁の夫殺しを依頼したスナックのママ。バカラ賭博で何億もの借金を重ねる大企業の御曹司。老人たちの集落で孤立した六十代の“若者”が振るう凶刃。華やかな生活から抜け出せなかった元プロ野球選手はどうなったのか――。
小説の中に出てくる犯罪すべてに、マスコミを騒がせたあの事件この事件の影が差す。そのため私たち読者は事件の顛末をすでにうっすら知っている。そしてこの「知っている」感覚が本書にとんでもない凄みと奥行きを与えている。
事件は起こる。起きてしまう。それを知っていてなお、その犯人がひとたび著者の筆によって目線を与えられると、私たちは否応なしに彼らの気持ちがわかってしまう。その哀しみ、疲れ、行き詰まり。あるいは、深く考えなかったのであろうという無自覚な短慮の感覚までもが。
だからこそ読みながら願った。女児が行方不明になった夏に事件が起こらないこと、犯人がその人でないことを願い、その反対に賭博で作った借金には、主人公の救済を望むのと同義に、事件の早期発覚を願う。狭い集落の中の孤立が小さな誤解の積み重ねで解決できないところまで追いつめられると「事件」はむしろ破たんではなく、来るべき閉塞状態からの解放のようにさえ感じられてしまう。
どの作品もラストが素晴らしい。著者は事件の発覚や容疑者の逮捕といった私たちが思う「顛末」を遥かに凌駕する瞬間をどの話にも用意している。逮捕や発覚は、この本の中で事件の瞬間のひとつであって、全部のまとめではない。
人は、世界の貧困を本心から嘆いていても、何億もの金を一瞬で溶かしてしまうことができる。善でも悪でもなく、哀しみでも疲れでも生ぬるい、名付けられない感情によって時として「事件」は起こる。その名付けられない何かの営みを描くものこそが小説であり、犯罪を小説で描くことの意味なのかもしれない。圧巻の犯罪小説集だ。
よしだしゅういち/1968年長崎県生まれ。97年に『最後の息子』で文學界新人賞を受賞し、デビュー。2002年に『パレード』で山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で芥川賞を受賞。07年『悪人』で毎日出版文化賞、大佛次郎賞を受賞。『橋を渡る』など著書多数。
つじむらみづき/1980年山梨県生まれ。『鍵のない夢を見る』で直木賞受賞。近著に『東京會舘とわたし』『クローバーナイト』。