人口5人の島の「100人以上暮らしていた時代」
もちろん、こうした取り組みは、受け入れ側も歓迎している。わずか5人しか住民のいない小佐木島。そんなところに、“第2のふるさと”を求めてやってくる人がいる。それだけでも、島の人々にとってはうれしいできごとに違いない。そして、小佐木島のある三原市も積極的な姿勢だ。
「この島の場合は、まず鈴木さんが宿NAVELの学校を運営してくれていることが大きい。何もなければ、受け皿がないので交流イベントもできないですから。
それに、もともとこの島には100人以上が暮らしていて、造船やみかんの栽培で活気が溢れていた時代があった。そうして刻んできた歴史や文化をこのままなくすのではなく、受け継いで育てていくことは地域全体のためにも大切なことだと考えています」(三原市経営企画部・清水逸司さん)
かつて、小佐木島の小高い山にはみかん畑が広がり、海沿いにはたくさんの人が働く大きな造船所があったという。主に木造船を作る造船所で、他にも小さな漁船の造船所もいくつか営まれていた。
戦前には100人以上、昭和40年代にも70人ほどが暮らしていた。その頃の痕跡は、いまでも島のあちこちで見ることができる。鈴木さんが子どもの頃に遊んだ海水浴場は、いまもまったく人の手が入らない“天然の海水浴場”のまま残されている。
「そうした島に来て、良いなと思ってまた来てくれて。そういう人がひとりでもふたりでも増えていく。そうして関係人口が増えていく。人の動きが生まれれば、きっとそこで新しい何かが生まれることもある。
人口の減少は避けられない中で、こういう地道な取り組みがローカルを守っていくことになる。すぐには答えはでなくても、5年後、10年後には必ず変わってくると信じています」(内藤さん)