ずいぶん懐かしい雰囲気のこの一帯は…
この一帯は、「さの町場」というらしい。江戸時代に食野家という商人が拠点を置いて、海沿いの廻船業で栄えたのがはじまりだ。
アーケードの商店街は、孝子越街道ともいい、古くは大坂と紀州を結ぶ大動脈の一部でもあった。つまり、江戸の昔から街道と海の結節点、要の地だったというわけだ。そして、商人から漁師、農民までが集まって暮らすようになり、「町場」が形成された。それがいまの「さの町場」につながっている。
さの町場は、漁師町という一面もあった。だから、町場は海の際まで続いていた。当時の海岸線がどこだったのかは、いまでも一目瞭然だ。
入り組んだ路地を北に抜けてゆくと、あるところで路地が突然に途切れて視界が開ける。見えるのは関空に通じる高速道路やその高架下の大通り。ビュンビュンとクルマが走っているのが見える。高速道路の奥には結婚式場のような建物が見え、手前には緑地が設けられていた。ちょうどこのあたりが、昔の海岸線の境目なのだろう。
「ただの移動の拠点」ではない“泉佐野の顔”
古い町場と新しい埋立地の境目に設けられた公園の中を歩く。まるで、時代の移り変わりの狭間を歩いているようだ。そして、いかにも古い日本の原風景のひとつのごとき町場の中で、外国人観光客の姿を見かけなかったことを思い出す。
それがたまたまなのか、オーバーツーリズムを警戒してあえてアピールしていないのかはわからない。古い木造家屋の中には、いまも普通の暮らしを送っている人も住んでいるのだろうから、単純に「良い感じだから観光客を呼びましょう」とはいかないのもよくわかる。
が、この町をたまさか訪れた外国人観光客がいたら、日本の文化の奥深さに詠嘆するに違いない、と思う。空港の付け根の駅は、ただの移動の拠点というだけにとどまらない。それ以上の魅力と、日本らしさを持った町なのである。
写真=鼠入昌史