数日後、大介から「一発で書類のオッケーもらったわ!」と嬉しそうな電話があった。
「やったやん! いけるんちゃう? いけるんちゃう?」と裕子は声を上げた。
「仕事のブランクはあるけれど、わからないところは教えてもらって、コツコツ取り組めば兄ちゃんならきっと頑張れると思うわ」
裕子は何度もおだてて、大介を励ました。
大介はまじめで、とにかく世渡りが不器用なところがあった。
その後、警備会社の面接の日取りを電話で調整している最中に、「15年間のブランクがある」ということを自ら面接担当者に口走ってしまったらしい。履歴書は当日持参する会社だったので、面接までこぎつけることが重要だった。たとえ15年のブランクはあるにしても、直接会って必死にやる気をアピールすることで、採用されていた可能性もあったかもしれない。しかし、大介は愚直な性格ゆえにそのチャンスを逃すことになった。
担当者は、しばし絶句すると、そのまま電話を切った。大介からすれば、そのままの自分を知って欲しいがための言動だったが、要領の悪さが仇となり、面接の機会を失ったのだと裕子は肩を落とした。それでも大介を何とか持ち上げ、なだめすかした。
裕子がいたら頑張れる気がすると、大介は次第に明るい口調に変化していった。1枚1枚、薄皮を剥がすかのように、大介は閉ざした心を開きつつあった。
ドアを開けると壁一面のカビと床に散乱したゴミの山
それから2カ月後、連日の猛暑が関東一円を襲っていた7月15日――。裕子は、再び上京した。兄がどんな生活を送っているのか、生活状況を知っておく必要があると思ったからだ。大介が住んでいたのは、3階建てのマンションの一室だった。
「たぶん家に来ても、お前の座る場所なんてないと思うよ」
大介は、道中に何度も同じことを言った。
部屋に入るなり、裕子はその意味がわかることになる。白いドアの背面が、無数の黒いカビで覆われている。中へ進んで、度肝を抜かれた。床のほとんどが本やCDの山で埋め尽くされ、大介の言う通り裕子の座る場所すらなかったのだ。男の一人暮らしにもかかわらず、数年前に期限の切れた10キロの米が床に投げ散らかされていた。
さらに、なぜか、カレールーの入った段ボールが20箱ほどキッチンに山積みになっている。何十個ものチョコレートやクッキーの箱が埃を被って、無造作に放置されている。寄りかかることができないくらいに、壁も一面カビだらけで、靴を脱ぐのもためらわれる汚さで、裕子は足元を見て思わずたじろいでしまった。
「何でこんなに食料品があるの?」と尋ねると、「東日本大震災の時に、スーパーにも食料がなくなって、大変だったんだぞ。備蓄できるものは、今のうちにしておこうと思ってさ」と大介は答えた。