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自分が身を刻んで相手に与えたものは、こうやって返ってくるんだなと感じた

――震災後、すぐ福島に行かれたんですか。『馬たちよ、それでも光は無垢で』は震災の後に故郷を訪れる、私的な内容でしたよね。

古川 いやいや、最初はずっと金縛り状態のように報道を見ていました。それで行かなくちゃと気づいて、行くことにしたんです。

馬たちよ、それでも光は無垢で (新潮文庫)

古川 日出男(著)

新潮社
2018年2月28日 発売

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――9・11も3・11もそうですが、大きな出来事の後、すぐそれについて書く人もいれば、もう小説自体が書けないと思ったという人もいるし、しばらく時間を置いてから書きたい、という人もいますよね。

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古川 振り返ってみると、僕は「今は何も書けない」ということを書き始めたんですよね。それは考えてみたら正しい方法だったんだけど、その時はそこまで考えていなかった。ただ、言葉がない、書けない、この現実はどうにも描写できないし、認めたくないって思っていて。自分でも小説が読めないし、小説なんか役に立たないってことで、小説ではないものとして書きだして、それが途中から小説になった。結局小説を書いていた。しかも全力で、こんな状況の中でも希望はあるはずだということを訴えていた。この作品は3か国語に翻訳されていて、最近、英訳が出た時にイギリスで読んだ人から「これを書いてくれてありがとうございます」って言われたんです。執筆から7年くらい経っていたけれど、やっぱり、自分が身を刻んで相手に与えると、こうやって相手から返ってくるんだなと感じましたね。

 僕はぜんぜん被災者の代弁はしていないんですよ。でも、ああいうひどいことが起きてしまったこの世の中にいた誰か、あるいは被災地ではないところにいた人たちの何かに対して、とりあえず俺はこうしたわ、ってことを、肩をポンポンと叩いて伝えられたという感じかな。

日本には1000年前に俺みたいに原稿用紙2000枚の小説を書いた人がいる

――震災といえば、『女たち三百人の裏切りの書』(15年新潮社刊)も、震災がきっかけだったんですよね。これは『源氏物語』がモチーフで、紫式部の亡霊が現れて自分が書いた本当の「宇治十帖」を語りだすという。「式部先輩の胸を借りた」って言ってましたよね(笑)。

古川 そう、式部先輩は大きかったですね(笑)。1000年に一度の大地震だからしょうがないという風潮に日本のメディアとかがなっているに等しかったので、なら、これは1000年のスパンで考えないといけないなと思った時に、日本には1000年前に俺みたいに原稿用紙2000枚の小説を書いた人がいるなって。名前は紫式部だなって。その上で、これを自分で書くんだなって。でも、これを書くってどういうことか僕にはまったく分からなかった。

女たち三百人の裏切りの書

古川 日出男(著)

新潮社
2015年4月28日 発売

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――ABCDのM部分が浮かんだわけですね。

古川 そうそう。2010年代に『源氏物語』を書くってどういうことか分からなくて、新潮社の人に「次は平安時代を書きます」と言ったら「はあ?」と言われて。それまで震災の前には別の小説の準備をしていたんですよ。でも震災が起こってない社会のことを書こうとした話は、震災が起こった時点でもう通用しない。それで「違うものを書かせてくれ」「平安時代を書かせてくれ」と言うものだから新潮社側も「はあ……」と言うしかなくて、後から「頭に浮かんだのは実は夢枕獏さん風の作品だったんですけれど」って(笑)。

――古川さん、今度は陰陽師を書くのかな、とか(笑)。

古川 そうそう。で、1000年前のことを真剣に考えて、調べて。以前、日本の古典文学にふれていないという反省から『源氏物語』の現代語訳も読んでいたんです。反省というのは、『アラビアの夜の種族』というフランスやエジプト、広くアラブの歴史の話を書いた後で、俺は日本のそういう歴史を全然知らないわ、上っ面だわ、それはまずいなと思ったんです。もしかして真摯に教養を身に着けないといけないのかなと思ってやってきたことが、震災後に備える作業に繋がったというのがすごく不思議な感じですね。

古川日出男さん ©山元茂樹/文藝春秋

――その『女たち三百人の裏切りの書』も、中央にいる男性たちの話ではなく、女性たちの話であり、辺境から中央を目指してくる人たちの話になっていますよね。

古川 そう考えると『ミライミライ』と構図は同じですよね。最辺境の北海道から来るっていうのと、朝廷のはるか外側の蝦夷の居住地やら瀬戸内やらから来るっていうのは本当に同じだと思う。

――そして式部先輩の亡霊が「私が書いたんだ」と主張する部分も、物語が広がっていくことに関する話になっていて。これはすごいなと思っていたら、河出書房新社の「日本文学全集」で、古川さんが『平家物語』の現代語訳をすると聞いて、えっと思って。

古川 そう。『源氏物語』の話を書いていることを新潮社の編集者2、3人しか知らない段階で、河出から「『平家物語』を訳してほしい」と指名がきて、まいったな、俺ひとりで源平合戦か、って(笑)。本当にその作業が同時進行ってことになったので、もうこれは1000年の幅で考えるってチャレンジを「お前、やれ」って大きなものに命じられてるのかと思いました。それで、河出さんから依頼がきて3時間後には「はい、やります」と返事しました。「日本文学全集」で古典新訳を引き受けた小説家の、どうやら一番手だったみたいですね。まあ、あそこまで現代語訳が大変だと思わなかったけれど。

――源氏と平家をやってみて、1000年前の時間を経験できたことでまた何か…。

古川 変わりましたよね、やっぱり。日本の1000年というのをやって、それだけの日本を自分の中に入れて、ようやく今の日本以外のいろんな世界と真っ直ぐ向き合うことができるようになって。アメリカだろうと、ヨーロッパだろうと、アジアだろうと、アフリカやアラブだろうと、やっと真っ直ぐ向き合える。あなたたちとちゃんと話せますというところまで来られた気がします。