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 それが1979年の5月末から6月にかけてのことで、小山内はちょうどNHKの連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の脚本の脱稿直前であった。いつもなら新しい作品に取りかかる場合、しっかり下調べなど準備をするのが常であったが、『マー姉ちゃん』を書き終えてから10月スタートのドラマに取りかかるとすると、9月中旬には制作に入らねばならず、その時間はほとんどなかった。

熊谷真実が主演を務めた小山内美江子脚本の朝ドラ『マー姉ちゃん』(1979年/NHKアーカイブスより)

 それならば手持ちの材料で……となり、小山内は一人息子(俳優・映画監督の利重剛)を育ててきた経験から、中学生についてならさほど準備をせずとも書けるのではないかと思い立つ。ここから柳井の助言もあり、中学を舞台にした学園ドラマの企画が固まる。

武田鉄矢が主人公に抜擢された理由

 主人公の教師役には『マー姉ちゃん』の主演だった熊谷真実などの名前も挙がったようだが、小山内も柳井も武田鉄矢ということで意見が一致した。柳井のなかでは、ライバルであるNHKのテレビ小説のヒロインを起用することには抵抗があったらしい。小山内は教師役には男性がいいと考え、その少し前に、あるパーティーで見かけた武田のことを思い出した。

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 そのパーティー中、小山内は同じく脚本家の向田邦子と話していたところ、武田が向田へあいさつに来た。このとき、向田が「鉄矢さんは全身でお芝居をしているのを感じるわ」と言うと、彼は福岡の教育大学に在学中、聾学校へ教育実習に行ったときの体験を身振り手振りを交えて語り出し、それが小山内に強く印象に残ったという(『文藝春秋』1990年7月号)。

1985年、江夏豊引退試合に登場した武田鉄矢 ©文藝春秋

「いわゆる学園物というんじゃないのをやってヨ」と息子から注文

 小山内の息子の利重剛は、母から中学を舞台にしたドラマを書くと聞かされ、《いわゆる学園物というんじゃないのをやってヨ。中学生が見て、ウン! これはボクたちの番組だ、そう思うようなのを書いてよ、つくりものじゃあなくてさ》と注文したという(小山内美江子『25年目の卒業 さようなら 私の金八先生』講談社、2005年)。このころ彼は熱海の実家を離れ、東京の高校に一人暮らしをしながら通っていたが、中学時代の同級生たちに電話をして、母のもとへ中3のときの教科書を持って来てくれるよう呼びかけるなど協力を惜しまなかった。

 息子の注文もあって、『金八先生』はまさに「つくりものではない」ドラマとなった。小山内によれば、じつは「十五歳の母」にも“仮のモデル”がいたという。