「お便所に行ってくるわ」――休み時間中、トイレに行った7歳の小学生。しかし授業が始まっても帰ってこない…。2時間後、なにか様子がおかしいと彼女を探し始めた教職員、生徒たちがトイレで見た「恐るべき光景」とは? 1954年に起きた「文京区小2女児殺害事件」を新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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学校のトイレが「共用だった時代」に起きた悲劇
学校のトイレが男女別々であることは言うまでもない。が、実は昭和20年代後半まで日本の学校のトイレは男女共用で、特に小学校は公衆トイレの役割を担い、誰でも出入り可能だった。そんな社会の仕組みを背景に1954年(昭和29年)、東京で惨劇が起きた。トイレを借りに小学校を訪れたヒロポン中毒の男が女子児童を暴行・絞殺した文京区小2女児殺害事件。事件を機に、トイレの運用を含めた学校の安全対策、及び覚醒剤の取り締まりは大きく強化された。
1954年4月19日午前11時ごろ、文京区本郷の区立元町小学校の2年A組で、2時限目の国語の授業が行われていた。3時限目との間には20分の休み時間があり、担任の女性教師は絵日記を書き上げた者から外に出て良いと生徒に告げる。それを聞いた細田鏡子ちゃん(当時7歳)は早々に日記を書き終わり、他の児童より先に校庭へ出る。まもなくクラスメイトたちも姿を現し一緒に遊んでいたところ、鏡子ちゃんが「お便所に行ってくるわ」と言い校舎に戻った。
3時限目は理科の授業だった。しかし、なぜか鏡子ちゃんの姿がない。教師はさほど気に留めなかった。というのも、鏡子ちゃんの自宅は学校のすぐ目の前。忘れ物でも取りに行ったのだろうと考えていたそうだ。が、それから2時間が経過しても鏡子ちゃんは姿を現さない。さすがにおかしいと、教職員と生徒が総出で彼女を探し回る。このとき、偶然にも学校の前を通りかった鏡子ちゃんの母親も騒ぎを聞きつけ捜索に加わった。
そして、校舎へ入ってすぐの正面ホール横にあるトイレの中で、1つだけ閉まり切ったままの個室が発見される。その個室はすりガラス窓越しに内部を確認できるようになっていて、覗き込んでみると鏡子ちゃんが着ていた赤いカーディガンが確認できた。
外から呼びかけても返事はない。教師が内側から施錠されていた鍵を壊し戸を開けると、そこに変わり果てた鏡子ちゃんの姿があった。無残にも何者かに暴行された挙げ句、首を絞められて殺され、その口に本人が着用していた下着が詰め込まれていたのだ。母親は半狂乱となり、何度も娘の名前を呼ぶも反応なし。鏡子ちゃんの死は搬送先の病院で正式に確認された。
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