故・大林宣彦監督も「パスカルズ」が大のお気に入りに
――それで出演された作品が、大林宣彦監督の『この空の花 長岡花火物語』(2012年)ですね。
石川 僕は、さりげなく通る「もうすでに亡くなっている山下清」みたいな役だったんだけど、大林監督が「そういえば君、バンド(パスカルズ)やってるよね。そのメンバー呼べないかな?」って言い始めて。
花火大会のシーンで、いっぱい人がいる中で楽器を持っているメンバーが1人ずつ立ち上がって、だんだん演奏が盛り上がるっていうのはどうだろう、と。そういう当初、脚本には全然なかったことを、大林監督が思いついて。
言われたのが、撮影の1週間前くらいだったし、撮影が新潟県の長岡市だったからメンバー全員は揃えなくて残念だったんだけど、10人くらいは集まれて出演した。そうしたら大林監督が「パスカルズ」をすっかり気に入っちゃって、その次の作品『野のなななのか』(2014年)では「パスカルズ」が主題歌もやって、最初から出演もすることになったんだ。
――これも偶然から始まるシンデレラエピソードというか。石川さんの人生は、奇跡みたいな出会いがあって、どんどん繋がっていくんですね。
石川 そうだね。大林監督は、それからずっと亡くなるまで「パスカルズ」のライブにご家族揃って来てくださってたしね。いい縁に恵まれています。
旅行好きが高じてエッセイ本も発売に
――そういえばつい最近また本を出されたんですね。旅に関する本ですか?
石川 旅のエッセイ本です。3月19日に発売になりました。
――最近も海外旅行から帰ってきたばかりだそうですね。
石川 2月はタイに行ってます。コロナ禍の2年間だけは行けなかったけど、この20年くらい、2月は毎年タイのチェンマイで過ごしてるんです。
――旅先でよくアクシデントに見舞われるそうですが。
石川 あ~ケガとかね。今回は大丈夫でした(笑)。年によっては、タイに着いた翌日に「よし、これからあったかい毎日を過ごすぞ~」ってすごいはしゃいで、コケて、足を骨折したことも。それで滞在しているちょうど1カ月の間、松葉杖で過ごすことになったりね。だからその年はタイにいても、毎日ホテルの向かいにあるバーに行くのだけが楽しみっていう。そんな年もありました。
――着いた2日目からだと、向こうではずっと療養みたいに過ごしてたんですね。
石川 そう(笑)。まあ旅先ではいろいろありますね。
――20年間で、徐々に物価も上がってきた実感がありますか?
石川 物価が上がったというより、円安になったから、お得感は少なくなりましたね。昔なんて、一番安いときは、タイマッサージ1時間やって500円もしないくらいだったんだから。500円どころじゃない、300いくら位だったかな? だから毎日何時間もマッサージしてもらってました。もう全身フニャフニャになるくらい(笑)。