印刷文化に触れて想う

京極 夏彦 小説家・印刷博物館館長
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 現在に於(おい)てはすっかり指し示す対象が違ってしまったようなのだが、本来デジタルとは「連続的な量を段階的に区切って数値化する行為」また「それを扱う技術」という意味を持つ言葉だったらしい。つまり何かを“量”として捉(とら)えるのではなく“数”として捉え直すということだろう。連続したものは数えることができない。数えるためには分割しなければいけないだろう。デジタルとは即(すなわ)ち非連続という意味なのである。

 あらゆる情報を0と1とに変換して運用管理・再構成するコンピュータはいうまでもなくデジタルなのだけれども、それは先んじてデジタルという概念あってこそ構築し得た技術ではあるだろうし、「連続的な量を段階的に区切って数値化する」ことは、とりわけコンピュータ関連に限った行いではない。メジャーも計量カップも時計も単位を定めて分割することで量を数に変換するためのツールである。数値化しなければ人はそこにどれだけの水があるのか知ることすら叶わないのだ。量る器がなければ水は情報化されない。情報の精度を上げるには分割を細かくしていくよりない。

 そもそも、世界は普(あまね)く連続した形=アナログとして在るものなのだ。ならば。

 人は、そのアナログな世界を情報として認識し、処理し易くするためにデジタルという概念を生み出したのである。情報とは最初からデジタルなのだ。そうしてみるならば“言葉”の誕生こそがデジタル化の第一歩だと知れるだろう。言葉は、「ここ」と「そこ」とを「昼」と「夜」とを分割する。その間は捨てられてしまう。世界を分割しなければ言葉は成立しない。それは本来なら渾沌(こんとん)としているはずの人の内面さえ「嬉しい」「哀しい」と切り出して規定してしまう。言葉なくしては数という概念も整理されなかったかもしれない。そして漸(ようや)く人は秩序(コスモス)と論理(ロジック)を手に入れたのだ。

京極夏彦氏 ©文藝春秋

 だが、所詮(しょせん)言葉は音=アナログとして発せられるものでしかない。言葉のデジタル化を徹底しコミュニケーションツールとして完成させたのは“文字”という発明だろう。言語を音韻(おんいん)や文節、意味で分割し、図像として視覚化する記号=文字は、やはりデジタルな発想を基盤としてでき上がったものなのである。そして文字を刻むという行為は情報媒体=メディアを生成した。メディアを媒介とすることで情報は時間と空間を超越した。表現/伝達/受容という目途の可能性は大きく広がったのだ。とはいうもののその段階にあって言葉/文字は十分に真価を発揮できてはいなかった。

 アナログと違い、言葉/文字によってデジタル化された情報は「まったく同じもの」を作ることが可能なのである。メディアに記された情報は“複製”できるのだ。それこそがデジタルの真価だろう。結果編み出された技術こそ“印刷”なのだ。筆写より木版摺(ず)りの方が再現度は高い。活字というガジェットはより精度を上げた。組版はデザインの地平を広げ、絵画や写真に新たな意味を付与し、金属活字印刷機の開発は大量複製という革命を成し遂げた。それは文化を創り社会を変えるまでに到った。しかし印刷技術の進歩発展は決して文化や社会に先んじてなされたものではない。

 それは常に文化や社会に寄り添い、その要請に応える形で作られてきたものなのである。金属活字から写真植字、更(さら)にデジタルフォントへ。ホットタイプからコールドタイプ、そしてDTPへ。その進化は、デジタル=情報の持つ表現/伝達/受容という用途に忠実でありつつ、それぞれの機能を飛躍的に拡張する道程でもあったのである。現在デジタルと呼ばれる技術の全ては印刷技術の延長線上にあるものと言っても過言ではないだろう。ならばその千年に垂(なんな)んとする印刷文化を識(し)ることは、決して懐古でも無駄でもない。道は必ずや来し方より行く末へと繋がっているのである。

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source : 文藝春秋 2025年7月号

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