言わずと知れたことだが、役所広司は芸域が広い。今村昌平、原田眞人、黒沢清、周防正行、青山真治、西川美和、白石和彌。それぞれ作風の異なる監督たちが、こぞって彼に大役を委ねている。偉人、英雄、犯罪者、堅気の小市民……どの役を演じても、造型にぐらつきがない。
なんでもないことのようだが、これは例外的な現象だ。溝口健二、成瀬巳喜男、小津安二郎、黒澤明の作品に残らず出た大スターは、山田五十鈴、杉村春子、田中絹代ぐらいしか思い浮かばない。浪花千栄子は成瀬映画に、志村喬も小津映画には出なかった。往時と現在とは単純に比較できないものの、役所広司の「引く手あまた」ぶりは一驚に値する。
しかも、演技の質が期待を裏切らない。話の設定がどうであれ、役の内奥に棲むニュアンスは過たず引き出される。それも、英雄の抱える苦しみとか、堅気の市民に秘められた侠気とかいった、単純な反転構図ではない。立ち上がるのは、色彩や形態がもっと複雑な多面体だ。
役所広司は、1956年、長崎県で生まれた。芸名は、千代田区役所の土木工事課に勤めていたことに由来する。私は、『KAMIKAZE TAXI』(1995)を見て、この人の魅力を知った。演じたのは、寒竹一将(かんたけかずまさ)という名の男だ。日本で生まれ、幼時にペルーへ移民し、出稼ぎで日本に来た彼は、〈そよかぜタクシー〉で運転手をしている。日本語はややおぼつかない。言動は控え目で、人当たりは柔らかい。

その寒竹が、チンピラの達男(高橋和也)と出会う。達男は悪徳政治家から巨額の金を盗み出し、暴力団組長(ミッキー・カーチス)に追われる身だ。
そんな達男をタクシーに乗せ、寒竹は北関東から伊豆へ、さらには東京へと移動する。アメリカン・ニューシネマの匂いが漂うロードムービーだが、寒竹の柔和な物腰の奥からは、人間凶器(リーサルウェポン)の危うさが見え隠れする。もちろん過去はある。若き日の寒竹は、殺害された父親の仇を取るべく反ゲリラ闘争に挺身していた。
柔和な物腰と抑えがたい荒魂(あらたま)。
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