「落差をあやつる技」エドワード・ノートン

第225回

芝山 幹郎 評論家・翻訳家
エンタメ 映画

 エドワード・ノートンが、相変わらず巧い。ティモシー・シャラメがボブ・ディランに扮して抜群の歌唱力を発揮した新作『名もなき者』(2024)。ノートンはこの映画でフォークソング界の重鎮ピート・シーガーの役を演じ、画面を引き締めている。さすがの貫禄で、無駄な誇張や情感の見せびらかしなどは入り込む余地がない。「静の芝居」をすっかり掌中に収めたと言い換えてもよいか。

エドワード・ノートン ©Shutterstock/アフロ

 ノートンは、新人のころから図抜けた技能派だった。私が驚かされたのは、実質的なデビュー作『真実の行方』(1996)を見たときだ。彼は、二重人格者のアーロン/ロイを演じていた。

 映画の舞台はシカゴ。聖歌隊に属する19歳のアーロンは、大司教惨殺の容疑で逮捕される。彼の無償弁護を買って出たのは、敏腕弁護士のマーティン(リチャード・ギア)だ。

 アーロンはマーティンを振りまわす。おどおどとした態度が眼につき、吃音の症候も覗く気弱な若者。恵まれない境遇に、大司教がつけ込んだふしもある。マーティンは弁護衝動を刺激される。功名心も鎌首をもたげる。

 だが、アーロンにはロイという別自我があった。ロイはアーロンとは対照的に攻撃性が顕著だ。罵詈雑言をまき散らすだけでなく、すぐ凶暴な行動に及ぶ。

 その豹変ぶりが凄まじい。映画や小説に出てくる二重人格者は枚挙にいとまがないが、彼の場合は、脆そうな表情と毒蛇のような奸智の入れ替わりが鮮烈なのだ。アーロンは弱者でロイが悪鬼、と思い込んだマーティンは、いいように翻弄される。心神耗弱や一事不再理といった単語も、見る側の脳裏をよぎる。

 凡庸な描写も含まれるスリラーだが、新人ノートンの存在感は卓越していた。私はいっぺんで彼の顔と名前を覚えた。1969年8月生まれだから、96年4月の映画公開時は26歳。頭が切れて動作が機敏であるのみならず、無意識の奥底に秘められた「落差」を自在にあやつる技が昨日今日のものではない。ダークホースだ、と私は思った。

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source : 文藝春秋 2025年3月号

genre : エンタメ 映画