エドワード・ノートンが、相変わらず巧い。ティモシー・シャラメがボブ・ディランに扮して抜群の歌唱力を発揮した新作『名もなき者』(2024)。ノートンはこの映画でフォークソング界の重鎮ピート・シーガーの役を演じ、画面を引き締めている。さすがの貫禄で、無駄な誇張や情感の見せびらかしなどは入り込む余地がない。「静の芝居」をすっかり掌中に収めたと言い換えてもよいか。

ノートンは、新人のころから図抜けた技能派だった。私が驚かされたのは、実質的なデビュー作『真実の行方』(1996)を見たときだ。彼は、二重人格者のアーロン/ロイを演じていた。
映画の舞台はシカゴ。聖歌隊に属する19歳のアーロンは、大司教惨殺の容疑で逮捕される。彼の無償弁護を買って出たのは、敏腕弁護士のマーティン(リチャード・ギア)だ。
アーロンはマーティンを振りまわす。おどおどとした態度が眼につき、吃音の症候も覗く気弱な若者。恵まれない境遇に、大司教がつけ込んだふしもある。マーティンは弁護衝動を刺激される。功名心も鎌首をもたげる。
だが、アーロンにはロイという別自我があった。ロイはアーロンとは対照的に攻撃性が顕著だ。罵詈雑言をまき散らすだけでなく、すぐ凶暴な行動に及ぶ。
その豹変ぶりが凄まじい。映画や小説に出てくる二重人格者は枚挙にいとまがないが、彼の場合は、脆そうな表情と毒蛇のような奸智の入れ替わりが鮮烈なのだ。アーロンは弱者でロイが悪鬼、と思い込んだマーティンは、いいように翻弄される。心神耗弱や一事不再理といった単語も、見る側の脳裏をよぎる。
凡庸な描写も含まれるスリラーだが、新人ノートンの存在感は卓越していた。私はいっぺんで彼の顔と名前を覚えた。1969年8月生まれだから、96年4月の映画公開時は26歳。頭が切れて動作が機敏であるのみならず、無意識の奥底に秘められた「落差」を自在にあやつる技が昨日今日のものではない。ダークホースだ、と私は思った。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
初回登録は初月300円・1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
電子版+雑誌プラン
18,000円一括払い・1年更新
1,500円/月
※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2025年3月号