顔も長いが、腕や脚はもっと長い。そんな男が両手をだらりと下げ、いまにも銃を抜こうとする敵と向き合っている。やられる、と思った次の瞬間、男の右手がばね仕掛けのように一閃する。手首の裏側に忍ばせていたナイフが光の尾を引いて宙をよぎり、敵の胸に突き刺さる。
このシーンを映画館で目撃してからというもの、ジェームズ・コバーンは、中学1年生だった私のヒーローとなった。壁に向かって、おもちゃのナイフをアンダーハンドで投げ、クールな(つもりの)表情を作ってみせるのが猿真似の基本だ。いうまでもなく、映画は『荒野の七人』(1960)。コバーンがお手本としたのは、『七人の侍』(1954)で宮口精二が演じた静かな剣豪の久蔵だった。
コバーンが喋った台詞は、非常に少ない(たしか11行)。だが、それがぴったりだった。寡黙で哲学的な武芸の達人。アメリカ人の俳優が「東洋的超越」の要素を進んで役柄に取り入れるケースは、当時さほど多くなかった。
『大脱走』(1963)を見たときも、コバーンの猿真似をしたくなった。こちらの役は「製造屋(マニュファクチャラー)」と呼ばれる手先の器用な男。脱出用のトンネルに空気を送り込む鞴(ふいご)を作ったりしていたが、印象に残ったのは、脱走後、地味な自転車にまたがり、ゆっくりと非常線をすり抜けていく姿だ。余分な危機感や緊張感をふりまかず、自然体を崩さずに生き延びていく。その様子が、ヒップでクールだった。
ジェームズ・コバーンは1928年、ネブラスカ州の田舎町に生まれた。チャールズ・ブロンソンより7歳若く、スティーヴ・マクイーンやクリント・イーストウッドよりは2歳年長だが、土方巽や澁澤龍彥と同い年といったほうが、私にはピンと来る。昭和ひとケタ世代に特有の、シニカルなダンディズムの匂いが漂ってくるのだ。
集団アクションで光ったコバーンには、出演依頼が相次ぐ。無視したい気分と無視しがたい気持が相半ばするのは、007映画の安直なもじり『電撃フリントGO!GO作戦』(1966)だ。
話はまったくくだらない。気象を操作して世界を支配しようと企む犯罪組織に秘密工作員フリントに扮したコバーンが立ち向かい、超人的な活躍を見せるだけの話で、描写は粗い。最近のスパイ映画と比べれば、アクションや筋書きの趣向も子供だましとしか思えない。
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