プロレスと政権交代

野田 佳彦 元首相・立憲民主党代表
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 1957年生まれの私にとって、少年時代はテレビ放送の草創期。まだ各家庭にテレビが普及しておらず、街頭テレビに黒山の人だかりができていました。でも、千葉県船橋市の実家には物心ついた頃から白黒テレビがありました。自衛隊員だった父が奮発して買ったそうで、ご近所さんが我が家に集まって、テレビを囲んでいました。

 テレビっ子だった私が夢中になったのは、プロレス中継。金曜日の夜8時、テレビの前に座り、日本人レスラーに大声で声援を送っていました。まだ敗戦の傷が色濃く残っていた時代。力道山をはじめ、日本のレスラーたちが体の大きなアメリカ人レスラーに果敢に挑んでいく様子に勇気づけられました。技を覚えるのも大好きで、アントニオ猪木さんの必殺技「卍固め」を初めて見た時は驚きました。複雑すぎて仕組みが分からず、かといって録画して何度も見返せる機能などない。何週にもわたり、目を皿のようにして必死に画面を見つめていました。

野田佳彦氏 Ⓒ文藝春秋

 プロレス中継は隔週放送で、翌週金曜日はディズニーアニメが放映されていました。あまりに美しい映像に、アメリカという国に対するアンビバレントな感情が湧きました。

 カラーテレビが家にやってきたのは、小学生になってから。モノクロだと血が黒っぽく映るのでリアリティがないのですが、カラー映像では赤い鮮血が飛び散って生々しく、プロレスでも映画でも迫力が桁違いでした。

 政治を初めて意識したのもテレビがきっかけです。1960年、当時、日本社会党委員長だった浅沼稲次郎が刺殺された映像を見て衝撃を受けました。さらに3年後には、ケネディ大統領暗殺の瞬間を映像で目の当たりにします。政治家は命懸けの職業なのだと子供心ながらに感じました。

 大学卒業後の1980年、設立されたばかりの松下政経塾に入り、第1期生として5年間を過ごしました。1987年、29歳で千葉県議選に出馬したのですが、集会を開いたら参加者は一人だけ。途方に暮れて松下幸之助先生に相談したら、「無理に人を集めようとしてもダメ。私なら人混みで皿回しをする。それで人が集まってきたら、マイクを持つ」と。なるほどと思いました。皿回しはできないけれど、とにかく人目をひこうと考え、朝7時から夜8時まで津田沼駅前に立ち、一人でしゃべり続けた。横に「残り10時間」などと書いた「めくり」を置き、めくっていく。そうすると、朝出勤した人が夕方帰ってきて「まだやっているのか」と足を止めてくれるようになり、最終的には500人が集まった。地盤・看板・カバンがなくても、これだけの人が耳を傾けてくれて、県議に当選できた。あの時の「これから何かが起きる」というワクワク感が政治家としての原点になっています。

 以来、総理在任中を除き、街頭演説を続けてきました。昨今ではSNSで自分の主張を拡散することもできますが、それでも街頭に立ち続けるのは世論を体感できるから。自分の主張を訴えることも大事ですが、人々の思いを受け止めることも政治家にとって大切な仕事なのです。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

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