現在、日本で走っている定期の寝台特急と言えば、東京と高松、出雲市の間を結んでいる「サンライズ瀬戸・出雲」しかない。だが国鉄時代には、夕闇が迫るにつれ、東京、上野、大阪などの主要駅から、「ブルートレイン」と呼ばれる寝台特急が次々と東北から九州までの各地に向かって出発したものだった。
中でもよく覚えているのは、1970年代の東京駅。18時ちょうどに日豊本線経由西鹿児島(現・鹿児島中央)ゆきの「富士」が、20分に山陰本線経由浜田ゆきの「出雲」が、そして25分に博多ゆきの「あさかぜ1号」が、同一ホームである12番線と13番線から交互に発車した。夕方の帰宅時間帯にもかかわらず、このホームだけは客層が異なっていて、非日常的な空気が漂っていた。
私が最も憧れたのは、「あさかぜ1号」だった。東海道本線が全線電化した1956(昭和31)年11月、「あさかぜ」は戦後初めて復活した寝台特急として華々しくデビューした。その名を一躍高めたのが、松本清張の推理小説「点と線」だったことはよく知られている。

数ある寝台特急のなかで、「あさかぜ」には寝台車として最も贅沢なA寝台の個室が備わった車両が2両併結されていた。とはいえ14両のうち10両は、通路を背にして上段、中段、下段の三段式ベッドが欧州の列車のコンパートメント席のように向かい合わせに並んだB寝台の車両であった。
中学2年生だった1976(昭和51)年7月、東京から初めて念願の「あさかぜ1号」に乗り、山口県の徳山まで行った。もちろんA寝台の個室など乗れるはずもなくB寝台だったが、備え付けられたハシゴに昇り、上段で横になった。天井は思ったよりも高く、圧迫感はなかった。カーテンを閉めても暗くならないよう、読書灯があって自由に使える。揺れも心地よく感じる。本を読んでいるうち睡魔に襲われ、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
翌朝目覚めると、もう東海道本線から山陽本線に入っていて、広島の手前の海田市(かいたいち)付近を走っていた。時刻は6時を過ぎたころ。朝日を浴びながら広島に向かってひた走る姿は、まさに「あさかぜ」そのものだった。広島を過ぎると左手に海が現れた。島々をバックに小型の漁船や大型の貨物船などが頻繁に行き交う朝の風景には、瀬戸内海ならではの味わいがあった。
ビフテキがあった
この旅行で最もワクワクしたのは、往路ではなく復路で過ごした夕方のひとときにあった。復路もまた山口県の防府から「あさかぜ1号」に乗り、B寝台を利用したが、併結されていた食堂車で夕食を食べたのだ。往路は車内で駅弁を食べたのに対し、復路は防府から乗ってすぐ17時から営業を始めたばかりの食堂車に向かったと記憶する。
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