長期一強政権の中で安倍首相の威を借り、政策を操ってきた官僚たちを“官邸官僚”と呼ぶ。9月人事で昇りつめた彼らは、いったい誰のために働いているのか
新しいタイプの役人
東京都千代田区にある首相官邸の玄関は、「永田町バイパス」と呼ばれる国道246号線に面している。新聞各紙の「首相動静」は、日々この正面玄関の出入りをチェックし、いつ誰が首相と会っているか、それを伝える。その2018年8月から19年9月までの首相動静について、登場回数ベスト5をめくり返してみた。トップは、9月13日まで国家安全保障局(NSS)の局長を務めていた谷内(やち)正太郎の167回だ。次いで2位が現外務事務次官の秋葉剛男の164回、3位が前内閣情報官北村滋の147回、4位現外務審議官森健良の114回、5位前アジア大洋州局長金杉憲治の74回といった順になる。
首相動静の多くは、いわゆる政府高官や中央官庁の幹部たちによるブリーフィングの回数を示す。地球儀外交を標榜する首相だけあって、外務省関係者の面談が際立って多く感じる。半面、これはある種、首相が外交に熱心に取り組んでいるというプロパガンダのようにも受け取れる。言ってみれば、首相動静の登場回数は、これだけ総理と直接会い、重い仕事をしているんだぞ、という官僚たちのアピールに過ぎないかもしれない。
首相官邸には、外堀通り沿いの溜池山王方面から入れる裏口があり、それがときたま取り沙汰される。あたりは機動隊の車両が常駐し、隊員が警備をしていて物々しい。立ち止まって官邸のほうを見ていると、すぐに誰何される。世間にあまり知られたくない面会者は、この裏口から首相官邸に入る。
内閣官房では、裏口に面した路地を隔てたビルに国家安全保障局や内閣危機管理監の執務室などが入居している。彼らにとって機密の首相報告は、裏口を使っていることのほうが多い。
また、官邸の地下1階には内閣情報集約センター(危機管理センター)が置かれ、そこに危機管理監や内閣情報官が勤務する。そのままエレベーターで首相執務室まで上がれば、1階に常駐している新聞記者たちに知られず、簡単に首相と面談できる。加えて首相執務室前にはどんでん返しの扉が隠され、扉をひっくり返すと、エレベーターが現れる。首相は専用エレベーターで地下の危機管理センターまで下り、密かに内閣情報官と会う。
こうした危機管理システムがあるため、新聞の首相動静だけでは官邸の動きはなかなか読み切れない。それでも、首相動静に載る訪問の頻度は、いわば首相の信頼のバロメーターといえる。とりわけ首相動静登場トップに輝いた国家安全保障局長の谷内や3位につけた内閣情報官の北村は、安倍晋三が最も頼りにしてきた政府の要である。一強と呼ばれる官邸政治を実践してきた「官邸官僚」たちだ。
2006年9月26日から07年8月27日までの第1次政権と2012年12月から現在にいたる第2次政権を足し合わせると、安倍政権の通算日数は、11月20日をもって2887日目に突入する。首相在任期間は、戦前の桂太郎を抜いて憲政史上最長となる。
第2次政権発足当初は、誰もがこれほどの長期内閣を予想していなかった。2年目に入った14年あたりからだろうか、永田町で「安倍一強」と呼ばれるようになる。ここから長期政権の道が開かれていった。
長期一強政権の中で官邸官僚たちが首相の威を借り、政策を操ってきた。彼らはすでに出身官庁から離れ、官邸に籍を移しているケースも多いが、官邸の住人という意味合いから、かつて本誌で官邸官僚と名付けた。従来の自民党政権には存在しなかったタイプの役人たちであり、霞が関の従来のエリート官僚たちに代わり、事実上、日本を動かしていると言っていい。
その筆頭格はやはり第2次政権の発足以来、7年近く首相の政務秘書官を務めてきた今井尚哉(61)だろう。首相補佐官の和泉洋人(66)もまた、官房長官菅義偉の懐刀として、霞が関の高級官僚たちを指図してきた。さらに内閣情報官の北村滋(62)は北朝鮮外交のキーパーソンとされ、首相が頼ってきた。いわば第2次政権の発足以来7年ものあいだ権力を振るってきた官邸官僚の3トップである。
今井と長谷川の逆転
その彼らにも、日本の憲政史上初体験となる長期政権に突入するにあたり、大きな変化があった。
ポスト安倍最有力の菅
今井は新たに定員5人の首相補佐官に抜擢され、9月11日付で政務秘書官との兼務になった。これも史上初だ。令和への改元以降、菅がポスト安倍の最右翼首相候補と目され、和泉の立ち位置も変わっている。さらに北村は、谷内の後釜の国家安全保障局長に座った。一強といわれる官邸は決して一枚岩ではなく、これまでも水面下で官邸官僚たちの覇権争いが繰り広げられてきたが、それがここへ来て、表面に出てきた感がある。最長最強の政権では、官邸官僚たちそれぞれの計算や目論見が渦巻いている。
今井は霞が関の主要官庁から派遣される5人の事務秘書官を束ねる首席秘書官として、「総理の分身」と呼ばれ、安倍政権の重要政策を差配してきた。首相自身が心酔しきっている実力秘書が、今になって首相補佐官を兼務する理由は2つあるとされる。
1つはこれまでの論功行賞だ。1,800万円前後だった秘書官の年収が、内閣官房の特別職である補佐官になると、2,357万円に跳ね上がる。だが、むろんそれだけではない。
今井は首席秘書官とはいえ、形の上で首相のスケジュール管理などが主業務とされ、政策面における正式な権限はない。が、補佐官は政策の担当が与えられる。首相補佐官は官僚出身者と国会議員の2種類いるが、たとえば今井と同様、この9月に補佐官になった代議士の秋葉賢也は「ふるさとづくりの推進および少子高齢化対策」担当となっている。
そのなかで今井は「政策企画の総括」というポジションとなる。政策企画担当はこれまで経産省の先輩官僚である長谷川榮一(67)が担ってきたが、そのポストを奪った格好だ。組織上、どんな政策にも首を突っ込める権限を正式に与えられたわけである。
経産内閣を仕切る今井
安倍政権は“経産内閣”と称される。それは今井が経産省出身であり、後輩の経産官僚たちを使って政策を遂行してきたことに由来する。と同時に、経産OBの長谷川もまた政権に欠かせない存在とされてきた。そこにも変化が生じている、とある経産官僚が指摘する。
「経産省には、将来有望な国会議員に若手の担当をつける慣習があり、安倍さんの担当が課長の頃の長谷川さんでした。長谷川さんは千葉県立の木更津高校出身で、麻布や開成と違って霞が関における高校の学閥がなく、省内の仲間もいない。でも安倍さんとは馬が合って信用された。小泉純一郎政権で安倍さんが官房副長官に就任すると、長谷川さんは秘書官も通さず、経産省の構造改革特区担当者を連れて副長官室に自由に出入りしていました」
官邸官僚たちに共通する傾向だが、長谷川の役人人生もまた、霞が関エリートとは異なる。それは、第1次政権の崩壊後、失意に沈んだ安倍の歩みとも似ている。
拾ってもらった恩義
長谷川は第1次安倍政権の06年9月から内閣広報官を務め、政権崩壊後は安倍を励ますため、高尾山登山に誘った。一方、長谷川自身も2010年7月、中小企業庁長官を最後に経産省を退官した。が、民主党政権当時なので天下り企業がない。ボストンコンサルティンググループのシニア・アドバイザーや明治大学の客員教授などになり、政治や行政の表舞台から去った。そこから第2次政権で政策企画担当の首相補佐官と広報官を兼務するようになる。
「安倍さんに拾ってもらった恩義があるから、政権を守るんだ」
長谷川は後輩の経産官僚たちにそう語り、今井とともに北方領土の共同経済活動をはじめとしたロシア外交まで牽引してきた。ところが、9月の人事ではとつぜん、政策企画担当の任を外されてしまったのである。ある官庁の事務次官経験者が、今井の首相補佐官就任について次のように分析してくれた。
「今井さんはずっと政策面で政権を背負ってきたつもりでしょうけど、長谷川さんにしてみたら、これまで補佐官として政策全体の企画を総理から任されたと自負している。それをいきなりひっぺがされて後輩の今井さんに替えられてしまった。もはや長谷川さんのやる仕事はほとんどない。わずかに残った仕事は、北方領土の経済交流だが、そこは長谷川さん自身あきらめかけている。普通なら、もうおいとまします、と補佐官を辞めるのが役人の矜持でしょうが、いまだに居残っている。不思議なくらいです」
第2次政権の政策面では、やはり政務秘書官の今井と官房長官の菅が目立ってきた。だが、その両雄が力を合わせて政権を維持しているわけではない。むしろ対立する場面が目につく。
還暦にして独身の知恵袋
今年7月の中央官庁の定期人事もそうだ。たとえば経産省の事務次官人事レースでは、今井の推す経済産業政策局長の新原浩朗(60)に対し、菅は中小企業庁長官だった安藤久佳(59)の後ろ盾だとされた。2人の入省は年齢とは逆で安藤が83年、新原が84年だ。新原は海軍予備校が前身の名門私立海城高校から2年遅れて東大経済学部に入っている。旧日本電信電話公社(現NTT)に勤めていた新原の実父満生に会うことができた。
「(電電公社では)関東の勤務が多く、あの子は東京の社宅から高校に通い、まず慶應に受かりました。その後、慶應に通いながら受験勉強をして、早稲田と東大に合格したので、結局2年浪人したのといっしょ。東大に受かったときはさすがに嬉しかったですね」
そう語る満生は80代後半。中学を卒業後、働きはじめ、九州大学理学部を卒業した苦労人だ。ひとり息子に対する深い愛情を感じる。
「たしか浩朗が小学生のとき、NHKの討論番組に出ましてね。そこで(受験戦争に絡む進学塾問題について)塾の反対論をぶって、クレヨンのご褒美をもらいました。勉強は自分でするものだという考えだったのでしょうけど、大学受験はそれでは勝ち抜けないと悟って駿台の予備校に1年半くらい通っていました」
知恵袋の新原
新原自身は還暦にしていまだ独身を貫いている(編集部注:本稿校了後の11月4日、女優の菊池桃子との入籍が発表された)。独り身の仕事に対する姿勢はストイックで、それが今井の目に留まった。エネルギー畑の長かった今井と同じく資源エネルギー庁に配属され、省エネルギー・新エネルギー部長を経験した。その前は民主党の菅直人首相秘書官を務めている。先の経産官僚がこう明かす。
「新原はそこで原発事故に直面してミソをつけた。1キロワットあたり42円という高額で太陽光発電の電力事業者から買い取る固定価格買取制度を推し進めた。民主党は大歓迎ですが、自民党の原発推進派には大不興でした。買い取り価格が高すぎて電力会社の経営を圧迫したので経産省内でも問題になり、新原は自民党政権が復活すると、内閣府に出されて(出向して)しまいました」
新原は2014年7月、内閣府官房審議官となる。経産官僚が言葉を足す。
「このとき新原を救ったのが政務秘書官の今井さんでした。今井さんは原発エネルギー論者ですが、新原の馬力や優秀さを認めていて、可愛がっていました。彼にとっては思想信条や政策の是非は別。いかに突破力があるか、理論構築力があるか、というところを見ているのです」
菅対今井の鍔迫り合い
折しも第2次安倍政権の2年目の14年秋以降、まさに安倍一強政権と言われ始めた時期にあたる。今井はアベノミクス第2弾として、経産省の後輩たちに命じて「GDP600兆円達成」や「1億総活躍社会」など耳触りのいい経済政策をつくらせ、それを華々しくぶち上げた。このとき今井が内閣審議官の新原に与えたミッションが、働き方改革と称した労働関連法の改正だった。
「働き方改革は副業の容認や残業時間の上限規制など安倍政権における一丁目一番地の政策。今井さんは新原に経団連や連合との交渉をやらせました。反発も結構ありましたが、新原は今井さんの名前を使いながら、連合や経団連を説き伏せて突破した。それで、ますます今井さんは可愛くなったのではないでしょうか」(同・経産官僚)
一方、省内における新原の評判はあまりよくない。
「働き方改革の論理構成や法案作りのために部下を土日出勤させていたので、『働き方改革のプランをつくっている俺たちがブラックなんだから』と若手から反発があがっていました。ただ、官邸からの受けは抜群によく、とりわけ今井さんは新原を頼るようになった。それで、内閣府統括官に引き上げ、経産次官の登竜門の1つである経済産業政策局長に押し込んだのです」(同前)
そうして今年7月の人事で、新原の事務次官昇進が取り沙汰されるようになる。周知のように結果は、安藤が事務次官を射止めたのだが、そこにいたるまでにも曲折がある。
「さしもの今井さんも省内のハレーションを考えたみたい。それで、嶋田(隆)さんにもう1期、3年次官をやって新原にバトンタッチしてほしいと頼んだといいます。でも嶋田さんは、さすがに断った」
経産官僚の解説はこう続く。
「嶋田さんも菅さんの顔色をうかがったのかもしれません。このまま新原を次官にしてしまうと今井の権力がますます強まる。もともと安藤は菅さんの受けがいいので、安藤次官を後継指名したと聞いています」
経産省内で安藤の事務次官就任はワンポイントリリーフと見られている。来年7月の人事には新原の次官就任があるのではないか、あるいは内閣府の次官とも囁かれている。そこではまたしても、今井と菅のさや当てがありそうだという。
新原の奇想天外な策
今井がここまで新原を買っている理由は、働き方改革の進め方だけではない。新原は消費税10%における軽減税率の仕組みづくりを今井から託されてきたという。
「そこで新原の出してきたのが、キャッシュレスで5%のポイント還元という奇想天外な策でした。あげく、そのポイント還元のために3,000億円の補助金を用意しろ、と財務省に指示した。財務省としてもこれはたまらんかったでしょうね」(同・経産官僚)
財務省はただでさえ今井に煮え湯を飲まされ続けている。10月1日から実施された消費税の10%への引き上げも然りだ。2度の引き上げ延期を経て、ようやく実現したその増税分も幼児教育の無償化や軽減税率の導入によって骨抜きにされている。そのせいで社会保障の充実や財政再建どころではなくなっている。とりわけ軽減税制度に伴って導入するポイント還元がややこしい。大手企業のフランチャイズ加盟店だと2ポイントで、中小店舗なら5ポイントの還元率だ。財務省元最高幹部の1人はこう嘆く。
「仮に我々がこれまで買っていた100円のパンだと、税込みで108円。食料品なのでパンの値段は据え置くことになっていますが、ポイント還元で最大5ポイント割り引かれる。これまで108円だったパンが103円となる。事実上の減税です」
軽減税制度づくりのために財務省は昨年12月、ポイント還元に必要な費用として、2,798億円の予算を査定し、翌年の通常国会で計上された。だが、これもまた実にいい加減で、算定根拠が今もってはっきりしない。財務省の元幹部はこれにも憤慨する。
「査定の段階ではポイント還元制度の仕組みすらできていなかった。なのに今井たちは、3,000億円近い予算案をつくれという。今年3月の衆議院予算委員会で初め経産省がポイント還元制度のガイドラインを示したけど、とにかく金を用意しろという乱暴な話です。しかも、今にいたるまでどのような試算に基づく費用なのか、明らかになっていない」
くだんの軽減税制をつくった経産省の今井・新原ラインの財務省におけるカウンターパートが主計局長太田充だ。太田は彼らの指示通り、次長の神田眞人や主計官の斎須朋之に査定案をつくらせたという。
主計局長のすり寄り
主計局長の太田は、一昨年来の森友・加計国会にたびたび登場した。公文書改ざん問題を理財局長だった佐川宣寿のせいにし、のらりくらりと野党の追及をかわしてきた張本人でもある。通常、主計局長は事務次官の待機ポストの財務省ナンバー2とされ、太田は現事務次官の岡本薫明の後継次官との呼び声が高い。元財務省幹部は怒りの矛先を現役の主計局長に向ける。
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source : 文藝春秋 2019年12月号