晩年のカフカが両親に宛てた、32通の書簡
自分に厳しいフランツ・カフカは、生前に限られた短編しか発表していない。小説が書けない日も少なくなかった。そんなときも、几帳面に日記を綴り、熱心に手紙を書いた。
本書には、1922年から1924年にかけて、死を目前にしたカフカが両親に宛てた32通の書簡(うち23点は葉書)が収められている。1986年にプラハの古書店に持ち込まれた際には、カフカ晩年の姿に新たな光を投げかける重要資料として注目された。本書でも、書簡と同じほどの紙幅が原注に割かれている。立派な研究資料である。
同時に、書簡体小説のように読める、優れた「作品」でもある。訳者あとがきで、カフカ研究者の三原弟平(おとひら)は、これらの手紙を「人間の最後についての比類のないドキュメント」と位置づけ、他の書簡とは意図的に分けられて保管されていた可能性を示唆しているが、それほど絶妙なセレクションなのだ。

有名な『父への手紙』や婚約者たちへの熱のこもった手紙に比べ筆致は軽く、どこか演じられた幼さのようなものも感じられる。両親への細かな気づかいも随所に垣間見える。ベルリンでの厳しい日々についても「贅沢な生活」をしていると報告し、病状が悪化してからも前向きな一言を書き添えることを忘れない。
手紙に「バター」が何度も出てくるのも印象的だ。息子を心配する母は、プラハからベルリンに何度もバターを送る。カフカが「バターのことではご心配なく」と書くとき、そこには「僕のことではご心配なく」という想いも込められている。その2週間後に「鮭の燻製のような味がする」ため「こちらのバターを口にすることができなくなりました」と報告せずにいられなかったのは、精神的に限界に達していたからだろう。
一方、気難しい父とのコミュニケーションを可能としているのは、「ビール」だ。その数年前に書いた『父への手紙』で、カフカは「よく食べたとき」や「一緒にビールを飲んだとき」ぐらいしか褒めてもらった覚えがない、と父を責めている。この手紙は父の手に渡ることはなかったが、死を目の前にして病室で書かれた手紙でも、カフカはビールを飲んでいることをアピールしている。父はそれに「ビールをたっぷり」一緒に飲みたいと返し、息子は死ぬ前日に綴った最後の手紙で、市民プールで一緒にビールを飲んだ思い出に触れる。残される父を気づかい、最後に再び和解の手を差し伸べる、その優しさに胸が打たれる。
カフカは死の床で短編集『断食芸人』のゲラに手を入れながら涙を流した。この完璧すぎる作品集と合わせて本書を読むと、40年の短い生涯を書くことに捧げた作家の静かで豊かな終幕がよりくっきりと浮かび上がってくる。
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