アメリカからの友人と蛍の鑑賞をしていたら、たまたま彼の腕にとまった蛍を慌ててはたき落としたので驚いた。英語では燃えるハエ(firefly)ということを思い出した。子供の頃、初夏の信州では田や小川に蛍が乱舞していて、私は夕飯をかきこむや友達と蛍狩りに飛び出したものだ。父と母が新婚の頃、夕暮れの利根川べりを散歩していた時、父が「指させば蛍の光ふと消えて夕べは涼し利根の川べり」と詠んだという。富士山頂で何年も越冬気象観測に従事していた山男がいきなりこんなものを詠んだので、母はよく覚えていた。数年前、女房が「あなた、田舎の蛍しか知らないんじゃ。都の蛍を見ないと」とか言うので、はるばる下鴨神社まで行くことになった。糺の森のせせらぎで目をこらすと、土手の草むらのあちこちで蛍が光っては消える。紫式部もここで蛍を指さしながら詠んだのだろう、「声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ」。闇に光る蛍が静かに燃える恋心と映ったようだ。本殿の裏の森に入ると、さらに多くの源氏蛍がいた。私のすぐ前で2匹の蛍がスルスルと木々を越え、曲線を交叉させながら暗空へ2つの星にでもなりたいかのごとく昇って行った。不意にいろいろのことが思い出され胸が熱くなった。
西洋人は暗闇の蛍を見て、幻想的な美しさは感じても、それ以上のものは感じないようだ。「蛍の光」はスコットランド民謡だが、原題は「久しき昔」で蛍とは無関係である。そもそも英語や仏語に蛍という単語が現れるのは17世紀以降で、万葉集に出てくる日本より1,000年も遅い。さしたる注意をひかなかったのだ。20年ほど前、晩夏に我が家を夕食に訪れた米大学教授は、網戸の向こうから聞こえてきた虫の音に「あのノイズは何か」と私に尋ねた。信州の田舎の祖母が、お盆が過ぎ虫の音が聞こえ始めると「もう秋だなえ」と言って目に涙を浮かべていたのを思い出し、「何でこんな連中に戦争に負けたのか」と思ってしまった。日本人は秋の夜長に虫の音を聞きながら、音楽のように楽しみ、秋の憂愁を嗅ぎ取り、さらにそこにはかない人生を重ね合わせる。これを庶民が普通にしてきた。ラフカディオ・ハーンは「西洋では稀にみる詩人だけに見られる感性」と感嘆した。
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source : 文藝春秋 2019年9月号
genre : ライフ