小松左京の長編小説『日本沈没』(1973年)に、邦枝という人物が登場する。内閣調査室の人間だ。日本の沈没する可能性にいち早く気づいた地球物理学者などを集めて、研究調査チームを秘密裏に結成し、彼らの報告が非常時に直面する国家の方針に大きな影響を与えて行く。
本書を読んでいて、さすが小松左京と思った。内閣調査室と聞くと、吉原公一郎や松本清張の著作のせいで、危ない真似もする日本のCIAという印象が先に立つ、けれど、本書を読む限り、歴史的実態は『日本沈没』の描く方に近い。学者を集め、国策に役立ちそうな「秘密研究」をさせる。『日本沈没』の邦枝のモデルは、本書の登場人物である、内閣調査室の元幹部、志垣民郎かもと、ついつい想像力を逞しくした。学者の知恵を集めていく手付きが似ている。
本書は、内閣調査室が吉田茂内閣時代に誕生した経緯等にも触れる。が、力の入る内容は、戦後日本の核政策の形成に、内閣調査室の委託による「秘密研究」や「秘密報告」がどんな影響を与えていたかだ。
1967年12月、佐藤栄作首相は核兵器を「持たず、造らず、持ち込ませず」の「非核三原則」を表明し、翌月には「核四政策」を発表した。①「非核三原則」を守る、②核軍縮に努力する、③アメリカの「核の傘」に入る、④原子力の平和利用を最重点国策とする、ということだ。
なぜ佐藤首相はこの時期に核政策を集中的に提示したのか。中国なのである。64年に原爆を、67年に水爆を保有した。米ソが核を使えば人類滅亡。滅多なことではつかうまい。が、中国はアジアの戦争で、日本に対しても使う可能性がある。そういう分析が広く行われた。日本のリスクは一気に高まった。どうするか。
そのとき裏で活用されていたらしいのが、内閣調査室による委託研究である。日本も核武装すべき。そう提案する者たちも居た。だが、それはかえって内外に緊張を煽る。お金もかかる。得策ではない。むしろ日本は中国に過剰反応しないぞと「非核三原則」を強調して内外を安心させるのがいい。アメリカには日本が中国から核攻撃をされた際には中国を核攻撃すると約束してもらう。もしもアメリカが「核の傘」を外すなら日本は自力で核武装するぞという無言の圧力を担保するため、原子力発電を推進し、核技術を確保する。そうした方向付けは、内閣調査室のコーディネートした、矢部貞治、佐伯喜一、若泉敬、岸田純之助らの提言や報告によって、首相周辺に与えられたのではないか。著者は説得力溢れる推論を展開し、手に汗握る。
ほぼ同時に出た志垣民郎著、岸俊光編集の『内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男』(文春新書)と合わせて読むと、ますます面白い。内閣調査室の学者利用術を知らずして戦後日本は語れない。
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