親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル
母を一言で表すなら「献身の人」。誰かのために尽くすことを自分の幸せのように感じている人でした。都議会議員だった父を支え、私たち4人の子供を育てるために必死だった母。加えて、母の実家は煎餅屋や保険の代理店などを営んでいたため、家業の手伝いもこなしていました。煎餅の配達のために自らトラックのハンドルを握るのもしょっちゅう。多忙な母に代わり、子供たちが家の手伝いをするのは当たり前。長女の私は自然と料理を作れるようになり、それが、大人になってから大いに役立ちました。
母は「勉強しなさい」と口うるさく言うことはありませんでしたが、私たちを全力でバックアップしてくれました。兄2人の剣道やラグビーの試合の応援に行き、私と妹に手作りバッグを縫い、和裁の宿題も手伝ってくれた。毎日を一生懸命生きるその姿が眩しくて、私も自然と「自営業の人のお嫁さんになって、家族を支える人生を送りたい」と思うようになりました。

その夢が叶い、ひと回り上の男性と結婚したのは短大卒業後すぐのこと。夫は当時、国会議員秘書で、地方議員を目指していた。議員の妻の苦労を知っている母は、私が若かったこともあり猛反対。でも、父が「僕は自分の子供を信頼している。忍が選んだ相手なら大丈夫だ」と背中を押してくれました。
夫は区議会議員になり、私は長男を育てながら議員の妻として駆け回ることに。しかし、私が39歳の時に夫が都議選に落ち、直後に心筋梗塞で倒れてしまった。家計を支えるため、私は知人の紹介で「SHIBUYA109」のアパレルショップで雇われ店長として働き始めました。40代間近にしてギャル店員に混じって働くのは刺激的でした。商品の陳列を工夫したり、布を買ってきて試着室のカーテンを自分で縫ったり。地道な努力によって、5年間で年商は2倍に増えました。
そんな矢先、夫が脳梗塞で再び倒れて……。体調が回復し、都議選への再挑戦を目前に控えていたので、「代わりに奥さんが出ては」と周囲に出馬を促されたのですが、政治家は生半可な気持ちではできません。一方、夫は私の父の後継として出馬しようとしていたので、両親に申し訳なかった。でも母は「そんなこと考えなくていい。今あなたは素晴らしい仕事をしているのだから、そちらを頑張りなさい」と言ってくれて、その言葉で心が軽くなりました。
体が不自由になった夫は精神的にも荒れて、苦しい時期もありました。私たち一家は実家の建物に住んでいたので、別の階に住む母にはずいぶん心配をかけたと思います。
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