2009年の春、フランクフルトの地下鉄駅で地図を広げていたら、20代の青年と会話が始まった。「フランクフルトは前大戦で手酷く爆撃されたため、古いもの好きの私としてはたいして見るものがなく残念だ」「何もかも壊されました」「ドイツと日本は市民が猛爆された。明白なハーグ条約違反だ」。青年は困惑の表情を浮かべた。続けて「ヒトラーと東条は確かに悪かったが、ルーズベルト、スターリン、チャーチルなど、2人とどれほど違うんだい」と言ったら、「でも僕達は本当に悪いことをしてしまったんです。どんなことをされても仕方ない」と下を向いた。戦前のドイツは数学、物理、化学、医学、文学、哲学と世界を圧していた。ところが戦後64年もたつというのに昔日の面影はない。うなだれてばかりいては独創に必要な気合が生まれてこないからだ。私は青年との別れ際、「ドイツ頑張れ」と励ました。
3年後の2012年夏、若者の失業率が50%をこすスペインを訪れた。EUから増税、公務員の削減と減給を厳しく要求されデモや鉄道ストが相次いでいた。私達は早々とマヨルカ島に飛んだ。人気パブは混んでいて20代後半と見えるドイツ人カップルと相席になった。IT企業に勤める眼鏡男と恋人の女性弁護士(可愛い)だった。男に言った。「散財しスペイン経済を助けようとここに来たのかい」「そういう意識も少しあった」「ドイツによる南欧救済は皆が期待しているからね」「ただ多くのドイツ人は、ビーチで遊びほうけている人達をどうして汗水たらして働く我々が助けなくてはいけないのか、と思っている」。女性が「私達だって1週間ビーチに寝そべっていただけよ」と言って男をくさしてから私に微笑んだ(とても可愛い)。私はフランクフルトの青年を思い出した。ずいぶん自信満々になったものだ、と思った。「でもね、ギリシア、スペイン、イタリア、ポルトガルが駄目だからユーロが下がっているんだ。4年前のリーマンショックからこれまでに、ユーロは米ドルに対し20%、日本円に対し25%も安くなっている。これで米国、中国でボロ儲けしているからドイツ経済は絶好調なんだよ。南欧を助けるのは当然だろう」「世界はそう思っているのですか」「その通り」。青年は困った顔をした。帰りの道で女房が「なんで地中海のパブで講演しなくちゃいけないのよ」とイヤミを言った。
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source : 文藝春秋 2020年1月号