嵐山光三郎、原田眞人、マーティン・パー、後藤俊夫、フランク・O・ゲーリー

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム

★嵐山光三郎

 作家で評論家の嵐山光三郎(あらしやまこうざぶろう、本名・祐乗坊英昭〔ゆうじょうぼうひであき〕)は広い人脈を持つ異色の編集者として活躍し、評論や小説を書いてファンを楽しませた。

嵐山光三郎 Ⓒ文藝春秋

 2006(平成18)年に刊行した『悪党芭蕉』は、それまでの芭蕉探求の集大成といえた。以前にも「俳聖」とされる芭蕉の実像を求め、江戸での水道工事人としての力量、衆道への傾斜などを指摘していた。本書では「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を失敗作と論じ、その晩年を克明に解き明かした。泉鏡花文学賞と読売文学賞を受賞。

 1942(昭和17)年、静岡県にある母の実家で生まれる。その後、朝日新聞社員だった父が借りた国立町(現・国立市)の社宅で少年時代を送る。桐朋中学・高校を経て國學院大學文学部に入学。英語の篠田一士や仏語の安東次男の授業に集中的に出席した。この頃に唐十郎との付き合いが始まっている。

 卒業後は3つ受けた出版社のうち唯一合格した平凡社に入社する。当時、同社は百科事典で急成長していて、社員には奇行の知識人が多かった。後に民俗学者となる谷川健一は大酒飲みで、嵐山を酒に誘ってくれたが、急に怒り始めて激しい口論となった。

 嵐山は入社直後大人しくしていたが、この喧嘩をきっかけに「会社は戦いの場」と思い始め、雑誌『太陽』編集部では次々と企画を提案する。最初は馬鹿にされたが、やがて同誌別冊を任され、36歳で編集長となる。ところが平凡社は経営危機に陥り、3年後、下中邦彦社長の慰留を断わって退社した。

 その後、平凡社での先輩と、退社した若者を集めて青人社を立ち上げる。当初は平凡社時代のヒット企画「年賀状図案集」で凌ぐが、82年に若者雑誌『DoLive ドリブ』を創刊し企画力と人脈で成功させた。同時に執筆を本格化、テレビでもタモリ司会の『今夜は最高!』に出演、同年から『笑っていいとも!増刊号』のレギュラーとなる。

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source : 文藝春秋 2026年2月号

genre : ニュース 社会