洒脱で粋な文章が魅力だった随筆家江國滋(えくにしげる)(1934―1997)は、落語、俳句、カードマジックと多趣味の人でもあった。その江國と勢津子(せつこ)さんは昭和35(1960)年に結婚した。2人は同じ出版社(新潮社)に勤める同僚で、いわゆる職場結婚だった。長女香織(かおり)さん(作家)、次女晴子さんのふたりの子をもうける。江國は、平成9(1997)年2月に食道ガンを宣告され、同8月急性肺炎のため逝去。
「俺が死ぬ時は、半身不随にでもなって、家族を長い間困らせてから死んでやる」。生前、江國は冗談でそんなことをいっていましたが、実際私も娘もこんなに華々しく壮絶な死を迎えるとは夢にも考えていませんでした。
私が6歳年上ですから、平均寿命からすると同じ頃に一緒に逝けるんではないか、と常日頃思っていました。亡くなってから4カ月。今はまだ江國が近くにいるような気がしてなりません。
「妻は家にいるから家内であって、そうでなければ家外になってしまう」といわれ、結婚と同時に勤めを辞めました。江國は裁判官の父と良妻賢母の鑑(かがみ)のような母の間にやっと授かった子供だったんです。小さな頃からからだが弱かったせいもあって、それはそれは大事にされていた。気配りがよく、物事を丁寧に運ばなければ気がすまない性格は両親から受け継いだものでしょう。頑(かたく)なに「家内」を主張したのも、自分の両親を夫婦の理想像としていたからかもしれません。私にとってはそんな古風なところが魅力でもありました。旅行も「父母います時は遠く遊ばず」といって、盆暮れに両親の住む清水へ行くぐらい。あとは香織のアメリカ留学先に家族で訪問したのが、唯一の大きな家族旅行となってしまいました。

もうひとつ、私に要求したのは食事のことです。「あと何回食事ができると思う? 回数が限られているんだから、手間を惜しまずに作ったものが食べたい」と。新婚当時、辻留の料理本を渡された時は途方に暮れましたよ。でもそれも「はいはい」って(笑)。
そんな江國もふたりの娘のことは溺愛していました。香織が書斎に入り込んで、まつわりついても文句ひとついいませんでしたから。ただ、親に反抗するような年になった時に「『でも』と『だって』だけはいうな。女の口ごたえは美しくない」とはいっていました。これは娘たちにいい聞かせると同時に私へ向けられたものでもあったのでしょう。
あらたまって夫婦の会話らしいものをしたことはないのですが、一度だけ江國が私の前でかしこまったことがあります。それは新潮社を辞める決心をした時のこと。昭和41年に退社していますが、当時は週刊誌の記者として夜討ち朝駈けの毎日でした。心身ともに疲労しきっていたのでしょう。「これから定収入がなくなるけど、かまわないか」と。私は即座に「好きな仕事ができるのはいいこと。あなたならやっていけるから心配ないわよ」と応えました。「食べていければいい」ぐらいの気持ちで、何も不安を感じなかったんです。
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source : 文藝春秋 1998年2月号

