昭和3(1928)年、文豪・幸田露伴(こうだろはん)の娘文(あや)(1904―1990)は、新川の酒問屋の三男・三橋幾之助と結婚した。幾之助は幼稚舎からの慶応育ちで、卒業後はアメリカのプリンストン大学に留学したという典型的な若旦那。ところが、世界恐慌と震災後の不手際で店は破産。文は、働く意志もなく病魔に冒されてゆく夫と、病弱な娘(随筆家・青木玉(あおきたま)氏)を抱え、一人奮闘の日々が続く。わずか10年の結婚生活だった。その間を題材とした幸田文の作品には「姦声」「雛」「食欲」「雪もち」などがある。
父の優柔不断で家族を守れない性格は、十分糾弾されてしかるべきだとは思いますけれど、私の知っている父は、私にむごいことを言ったり、母に手荒な真似をしたり、困らせるようなことをしたことはありません。むしろ優しい人でした。

結婚1周年か、母の誕生日か、父は母にカーネーションを3本だけ贈ったんですね。母が物足りなく思って包みを開けてみると、根元が真珠の指輪で束ねてある。昭和の初めです。その頃の他の男たちには、そういう真似は出来なかったと思います。祖父なんかそれこそ逆さに振ったってとてもそんなこと出来やしない(笑)。
だから反対に母は、父がもっていたアメリカという異文化、あるいは異質のものにひどく共感したんだと思います。しかも異文化だけではない。日本の商人文化がそこにある。つまり、着る物はより抜き、何をするにも、もっともいい条件で物事を運ぶということ。旦那はどういうふうに旦那であるべきかを知っている。
私から見れば楽しい家でしたよ(笑)。母が柿が好きだというと、父は次の日には千疋屋からあらゆる種類の柿を買ってきて床の間に並べる。レコードをかけてはダンスを一緒に踊る。覚えていることはおぼろげですけど、10年の結婚生活の中で、最初の7年くらいは穏やかだったんではないでしょうか。

離婚の原因なんて、いっぱいありすぎてわかりませんよ(笑)。まあ、一つには、母が祖父に生活費を頼ったということ。なぜ、そうしなければならないかというと、私の身体が弱かったからですね。それと父の病気が悪くなっていったこと。並行して起こっている。並の所帯でもきつい条件ですよ。母にしてみれば、歯を食いしばっても酒の小売を続けて、なんとか賄いたかったでしょう。ところが父は結核で弱ってきて、どんどん現実から逃避。このまま結婚を続けていれば、祖父は際限なくお金を貪(むさぼ)られる。母は、これだけはどうしても我慢できなかった。
父は、誰が稼いだのかわからないお金で、食べたいものを食べ、着たいものは着るという人生を送ってきた人です。自分の女房の父親が稼いだお金でも、自分が苦労なく生活できれば、申し訳ないと言いながら、でも平気で使うという人です。母にしてみれば、そんな若旦那の面子なんて二束三文にもなりゃしない。父が可哀想だというのと、不甲斐なさに腹が立ったと思います。
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source : 文藝春秋 1998年2月号

