トランプ再選が世界経済のリスク

ポール・クルーグマン ノーベル賞経済学者
ニュース 経済 国際
 ポール・クルーグマン氏(66)は、2008年にノーベル経済学賞を受賞し、現在は「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニストを務める、世界で最も影響力を持つ経済学者の1人だ。金融緩和やインフレターゲットを主張する「リフレ派」として知られ、2014年には安倍晋三首相と会談し、10%への消費増税先送りを進言するなど、アベノミクスの「理論的支柱」としての役割も担ってきた。
 クルーグマン氏は、激動が予想される2020年代の世界経済をどう見据えているのか。(取材協力・写真 大野和基)
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ポール・クルーグマン(ノーベル賞経済学者)

消費増税をするべきではなかった

 昨年末、米中貿易戦争やイギリスのEU離脱など、長期にわたり世界経済に混迷をもたらしてきた政治イベントに大きな動きがありました。そのため、今年の世界経済は「視界良好」だと思われる人もいるかもしれませんが、決してそうではありません。各国の動向を注視すると、むしろ、今後も不透明感は増すばかりのように感じられます。

 今年11月に行われる大統領選で、ドナルド・トランプ大統領の「再選リスク」を抱えるアメリカや、米中貿易戦争の影響で経済成長に陰りが見られる中国、いま、リセッション(景気後退)の危機に直面しているEU……。今年も、世界経済のいたるところにリスクが潜み、予断は許されないのです。

 日本経済も同様です。最も懸念されるのは、消費増税による景気の冷え込みです。いま、「軽い景気後退」にあるといわれる日本経済にとって、今後、本格化してくる消費増税による悪影響は決して無視できません。その前途は決して明るいものとは言えないのです。

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 いま、日本は東京五輪で盛り上りを見せていますね。その一方で、五輪後の景気反動を心配している人が多いと聞きます。ただ、五輪そのものは日本経済に対してそれほど大きな影響を及ぼさないと思っています。日本は1億3000万の人口を持ち、5兆ドルに迫るGDPを誇る巨大経済国家です。五輪といえども、日本経済からみればひとつのイベントに過ぎませんから、過度に心配する必要はありません。

 とはいえ、日本経済の前途が順風満帆かと聞かれれば、そうとは言えません。私が最も懸念しているのは、昨年10月に行われた消費増税の悪影響です。ハッキリ言って、増税はすべきではありませんでした。

ポイント還元は不可解

 日本経済は数多くの問題を抱えています。まず、低い出生率と歯止めのかからない高齢化による人口減少という、長期的に経済を低迷させる構造的な問題があります。それに加えて、最近では家計貯蓄率が高く、個人消費が伸び悩んでいる。

 消費増税は、緊縮財政に当たります。本来、緊縮財政は、景気の過熱を抑えるために行うもの。いまのタイミングで行っても、日本経済を悪化させるだけです。実際、昨年10月のGDPは前月比マイナスに落ち込みました。どうしても消費税を上げたいのであれば、これまで目標としてきたインフレ率2%を達成し、好景気になるのを待つべきでした。

 そもそも、ただ単に、消費税率を上げるだけでは、税収の増加にはつながりません。景気が十分に回復していないときは、消費税収自体は上がったとしても、景気の冷え込みで所得税などが下がり、全体の税収はかえって落ち込んでしまうのです。

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消費税は上げるべきではなかった

 安倍首相は消費増税に伴って、キャッシュレス決済によるポイント還元制度を導入しました。日本でも「実質的な減税措置だ」という声が上がっていますが、私もなぜ導入したのか、まったく理解できません。

 日本は極端な現金主義ですから、日本政府が、国内から完全に現金を排除したいのであれば、話はわかります。でも、そんなわけはないでしょう。キャッシュレス決済を普及させるという目的のために、なぜポイント還元という実質的な減税措置をとらなければならないのか。全く不可解な制度です。安倍首相の政策には一貫性がみられません。

インフレ率を上げろ

 消費増税のほかにも、深刻な問題を抱えています。インフレ率の低迷です。安倍首相は、アベノミクスの「3本の矢」の1つ、「大胆な金融政策」のなかで、2%のインフレ目標を掲げました。しかし、2018年のインフレ率も1%程度に留まり、いまだに目標を達成できていません。これでは、持続的な経済成長など望むべくもありません。

 低インフレ率にあえいでいるにもかかわらず、日本で大きな不満の声は上がっていません。これはとても奇妙なことです。

 いまの日本にとって、インフレ率を上げることは急務です。経済を成長させるためには、まず、個人消費が十分でなければなりません。個人消費が不十分であれば、それを刺激するために利下げが必要となります。しかし、名目金利を下げることには限界がある。

 そこで重要となるのが、名目金利にインフレ率を加味した実質金利です。仮に名目金利が1%だとしても、将来的に2%のインフレが達成されると人々が期待すれば、実質金利はマイナス1%となります。インフレ率を上げれば、実質金利が下がり、個人消費は喚起されるのです。

 また、インフレ率の上昇は、日本の財政も改善させます。日本は約1100兆円という世界最悪の借金を抱えています。ただ、インフレ率が上がれば、貨幣の価値が下がるわけですから、実質的な債務残高は軽減されます。

 日本経済にとって良いことずくめにもかかわらず、なぜインフレ率を上げることを求めないのでしょう。

 インフレ率が低迷している直接的な原因は、企業が賃金を十分に上げないことと、モノの価格を上げたがらないことにあります。しかし、それだけではありません。我々がいま目の当たりにしているのは、日本の金融政策の限界です。

 2013年4月、日本銀行の黒田東彦総裁はマネタリーベース(日本銀行が供給する通貨)を2年間で倍増させる「異次元の金融緩和」を打ち出しました。非常に大胆な金融政策で、私は「近い将来、日本が世界経済にとっての成功モデルになる」と大きな期待を寄せてきました。これまで、ある程度の成果を上げてきたことは事実ですが、ここにきて限界がきているようにみえます。

 そもそも、大胆な金融政策だけでインフレ目標を達成することは難しい。中央銀行による金融政策とともに必要なのが、政府による減税や公共投資などの財政支出です。

 歴史的にインフレ率の低迷に苦しむ国が何をしてきたか。それは戦争です。戦争の遂行には莫大な支出が必要となりますから、自然とインフレにつながります。戦争は財政面から見れば公共投資。すなわち、財政支出に当たるのです。

 もちろん、インフレ目標を達成するために日本が戦争を行うことはありえないでしょう。ただ、いまの日本は異次元の金融緩和によって、マイナス金利です。この状況でインフレ率を上げるためには、戦争に匹敵するほどの爆発的財政支出が求められます。

 ところが、安倍首相は財政支出の拡大に対する政治的欲望は全くないように見受けられます。それどころか、消費増税によって緊縮財政に踏み出してしまいました。大規模な金融緩和をする一方で、緊縮財政をしてしまっては、やっていることがあべこべです。

 日本銀行には財政政策を司る権限はありませんから、爆発的な財政支出に踏み切れるかどうかは、究極的には安倍首相個人の問題です。日本が、今後の10年、20年も持続的な経済成長を遂げることができるかどうか。ひとえに、安倍首相の決断にかかっているのです。

EUは「壊れた自動車」

 昨年12月、イギリスの総選挙で、EU離脱を掲げたジョンソン首相率いる保守党が大勝をおさめたことで、今年1月末のEU離脱が決定的になりました。これによって、ヨーロッパ経済の先行きに対する不透明感が消えたように言われますが、そうは思いません。私はいま、EUが世界で最もリセッション・リスクが大きい経済圏とみています。

 EUは日本に通ずる構造的な問題を数多く抱えています。人口増加率の低さに加えて、家計貯蓄率が高く、個人消費が伸びていない。その結果として、インフレ率の低迷にあえいでいます。日本と同じく2%のインフレ目標を掲げていますが、昨年8月のインフレ率は前年同月比1%と目標の半分です。ついには、目標の見直しを検討していると報じられるまでになりました。

 欧州中央銀行(ECB)は、こうした状況を打開しようと、対策を続けてきました。昨年9月に3年半ぶりの利下げに踏み切り、大規模な量的緩和を含む包括的な金融緩和策を行ったのです。ただ、既に有効な手は打ち尽くしてしまい、今後、ECBに更なる手立てがあるかというと、疑問です。

 いまのEUは、いわば故障した自動車です。衝撃を吸収するためにサスペンションに備え付けられた「ショックアブソーバー」がありません。にもかかわらず、行く手には、いくつもの障害物が転がっている。ショックアブソーバーがありませんから、障害物に衝突したら、対処の仕様がありません。小さな障害物にぶつかっただけで、車が故障してしまう危険性があるのです。

 中央銀行の金融政策に効果がみられない場合、政府が行う財政政策が二人三脚になって危機に立ち向かう必要があります。問題の構図は日本と同じです。

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 ただ、EUは日本と違って、独自の「政府」がないため、さらに深刻です。政策執行機関である欧州委員会はありますが、各国政府から選ばれた代表者が集まっているため、足並みの揃った経済政策を取ることは容易ではない。危機が起きても、「アベノミクスEU版」のように、トップダウンの動きができないのです。

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source : 文藝春秋 2020年2月号

genre : ニュース 経済 国際