こう語るのは、中国の作家で民族問題研究者でもある王力雄氏(66)だ。王氏は、1953年、中国・長春市に生まれ、78年、文革後最初の民主化運動「民主の壁」に参加し、94年には中国最初の環境NGO「自然之友」を立ち上げた。『漂流』『溶解権力』『天葬』『ダライ・ラマとの対話』『逓進民主』など多数の著作があり、『黄禍』『私の西域、君の東トルキスタン』(いずれも集広舎)『セレモニー』(藤原書店)は邦訳されている。冒頭、新宿歌舞伎町の風俗店から始まる近未来小説『黄禍』は、香港誌『亜洲週刊』で「最も影響を与えた20世紀の中国語小説100冊」にも選ばれている。
王氏は、ノーベル平和賞受賞者・劉暁波の友人で、妻はチベット人作家のツェリン・オーセル。現在、北京在住だが、当局の監視下にあり、出国を禁じられ、著作は大陸中国で発禁扱いとなっている。
王力雄(中国発禁作家)
「独裁」は「民主」と共存できない
5年後、10年後、20年後の中国は、一体、どうなっているのでしょうか。
中国の未来を予測することは最大級の難問です。この上なく不安定な要素を抱えているからです。
その不安定要素とは、「中国共産党による一党独裁」に起因するものです。これこそ中国の未来にとって最も中核的な問題となるでしょう。
中国社会科学院副院長を務め、中国共産党内の民主派の代表的な人物だった李慎之(1923〜2003)は、中国共産党政権と鄧小平を次のように捉えていました。
鄧小平は、中国共産党の“剛性的”な性質を認識していた。「独裁」が1歩退けば「民主」は1歩進み、「独裁」が1歩進めば「民主」は1歩退くという具合に、「独裁」は「民主」と共存できない。それは、「水の流れを遮るだけで水門のない巨大なダム」のようなもので、「独裁」という巨大なダムに対して、「民主」はそこにできる穴に喩えられる。たとえアリの一穴でも、そこから水が流れ始めれば次第に大きくなり、一瀉千里に崩壊する。つまり、中国共産党も、1歩退けば必ず崩壊する。このため、鄧小平は、汚名をずっと背負うことになっても、天安門事件で武力鎮圧を敢えて指示したのだ、と。
そうだとすれば、「平和的」な方向への転換はいかにして可能なのか。「革命」のような社会の大転換や大混乱を待つしかないのか。李慎之は、このような不条理とも言える難問を後世に残したのです。
「独裁」は「民主」に絶対に妥協できません。“洪水”を防ぐには、水門のない巨大なダムをひたすら高くし、強くするしかないのです。
“無敵”だからこその“危機”
さしあたり中国共産党による統治は、かなり安定しているように見えます。それは、この政権以外には、今日の中国社会を調整し、統合する勢力がないからです。
政治的反対派、対立するイデオロギー、党でなく国家に属する軍隊、宗教、市民社会といった、まっとうな社会には必ずあるはずの組織的勢力や統合メカニズムは、一掃されるか、圧政下で育ちようがありません。社会統合勢力としては、中国共産党政権があるばかりです。
こうして中国共産党政権は“無敵”と言える状況にあります。しかし、この“無敵”な状況にこそ“危機”の要因が潜んでいます。
大きな変化は、大きな勢力や大きな事件によって引き起こされるとはかぎりません。砂を1粒ずつ落として砂山を次第に高くしながら、1粒の砂が落下によりどれだけの砂を動かすか、という物理学の実験があります。初期の段階では、落下した砂粒の砂山への影響は小さいのですが、砂山がある程度の高さを越えると、「自己組織化臨界状態」に達して、砂山に「一体性」ができ、1粒の砂でも一種の「力の波」を起こし、たとえ微小でも、その影響は「一体性」を通して砂山全体を貫くようになります。つまり1粒の落下の衝撃が「力の波」になり、すべての砂粒に伝わるのです。そして、いくつもの波が重なりあい、強めあうと、最後は、たった1粒の砂でも砂山を崩壊させるようになります。
この「砂山論」を敷衍すれば、国家の内的な危機が臨界状態を越えるならば、最後は1粒の砂のような変化でも崩壊に至ることになります。
抗議の「連携・結合」
確かに、今日の中国では、局地的な抗議活動が各地で起きていても、全国的には“超安定”が保たれています。中共独裁政権の鎮圧能力は、局地的な抗議の力が「連携・結合」するのを阻止する能力をもっているからです。それぞれの抗議が起きる時間差を巧みに利用し、精鋭部隊を迅速に集結させ、“集中処理”する方法を用いて、その“芽”を次々に消滅させています。中共独裁政権は、武器、通信手段、機動力などで絶対的な優位を保っており、いかなる局地的な抗議も成功する可能性はゼロに等しい状況です。
このような状況を逆転させるには、局地的な抗議が燎原の火の如くまたたく間に広がり、蜂起が各地で同時に起きることで、全国を震撼させ、鎮圧の力を分散させ、無力化させる以外にありません。それには各地の抗議活動が事前に「連携・結合」していなければなりません。ですから中共独裁政権は、何よりもこれを警戒しています。結党結社や独立系メディアを禁止し、NGOや宗教組織を厳重に統制しているのも、その根本的な目的は、「体制外の連携・結合」の阻止にあります。
しかしそれは、譬えてみれば、絶えず燃えさかるボイラーの安全弁のすべてを溶接で塞いでいる状態です。最後は爆発するしかありません。
中共独裁政権は、「政治的」には、抗議活動の「連携・結合」を断ち切れるでしょう。しかし、「日常生活」や「経済活動」の領域でも、同じことができるとはかぎりません。
とくに「経済活動」に関して言えば、「市場経済」の本質は、そもそも「経済的な連携・結合の拡大」にあります。したがって「経済」の全体に及ぶ事件が起き、これが「民衆の生活」全般に影響を及ぼすとき、それは社会的な総動員を呼び起こす“号令”となり得ます。
情報伝達が不十分な古代では、「彗星」「日食」「天災」などが、また政治的激動期には、「要人の逝去(周恩来や胡耀邦)」、あるいは「デマ」や「うわさ」が“導火線”になりました。日増しに「経済」が一体化し、緊密化する現在では、「金融危機」「バブル崩壊」「大規模な失業」などが“導火線”になり得るでしょう。
このような形での「連携・結合」は、通常の政治的弾圧と同じような手法では阻止できません。むしろ弾圧するほど、さらなる「連携・結合」を招くだけでしょう。
「経済」が不安定要因に
「経済成長」が人民の不満を取り除き、独裁体制であっても、中国社会の安定をもたらしている、という見方がありますが、「経済」は、むしろ独裁体制を脅かす要因となりつつあります。
かつての毛沢東時代、「大躍進」で「経済」が破綻し、数千万人が餓死しましたが、強固で緻密な統治メカニズムは少しも変わりませんでした。「文化大革命」の際も、「経済」は崩壊しましたが、毛沢東の独裁権力は、強固であり続けました。この頃までは、民衆は生活全般にわたり「政治」運動に巻き込まれ、「経済」の問題は部分的で、その危機も支配体制には影響しなかったわけです。
その後、中国は、高度経済成長を遂げ、GDP世界2位という「経済大国」となります。しかしそのことで、「経済」の重要性が増し、かえって「経済」は、一党独裁体制にとって、危惧しなければならない不安定要因となりました。些細な「経済」の危機でも、体制に致命的な結果をもたらす恐れがあるからです。今日、「経済」は、生活全般に関わる一方、イデオロギー的信仰や政治運動は力を失っています。こうしたなかで、もはや「経済」の危機は部分に止まらず、「政治」の危機をもたらすようになったのです。
鄧小平の「改革開放」以後、中共独裁政権は、「経済成長」の成果を誇示し、それをあらゆる社会的矛盾を解決するために使ってきました。民衆には、絶対的服従と引き換えに「経済的利益」を施してきたのです。そして、いまや「経済成長の持続」が、中共独裁体制の正当化の手段となっています。
しかし、常識的にみて、高度成長が永遠に続くことはあり得ません。これまで経済成長のモデルと見なされてきた国や社会のいずれも、不況や停滞に陥っています。実際、中国経済も成長の鈍化が顕著になってきています。
「過剰生産に特徴づけられる古典的な危機」「金融バブルを中心とした現代的な危機」「輸出入のサプライチェーンの断絶に端を発するグローバルな危機」といういずれの危機も中国で深刻化しています。遅かれ早かれ経済危機が到来し、経済成長によって隠されてきた社会的危機と政治的危機も露わになるでしょう。この3重の危機が到来すれば、中共独裁政権も、瓦解を免れることはできません。
史上最強の監視社会
ただ、中共独裁体制が、インターネットやIT技術を駆使して社会全体を隅々まで監視・統制し、とくに習近平体制が、プライバシーまで踏みにじる「史上最強の監視社会」を構築しつつあることも考慮しなければなりません。
“史上最強の監視社会”を築く習近平
以前の独裁体制は、「少を以て多を制する」ことはできず、それが“アキレス腱”となっていました。鎮圧の人員の増加、武器の増強でしか独裁を強化できなかったのです。
こうした体制維持のための“マシン”が肥大化すると、経済的に、内部の消耗でコストが増大し、最後は財政が破綻します。また政治的にも、“マシン”の部品が多くなればなるほど、どこかで故障が起きるようになり、それにより統治の機能が麻痺する危険性が高まります。
この点、IT時代には、コンピュータとインターネットの発展により、独裁者は、人間を数値化し、デジタルに監視し、尾行できるようになりました。少数の人員でも、AIが人間の数万倍の情報処理能力を発揮し、ビッグデータによって交通違反からソーシャルメディアでの体制批判まで捕捉できます。ハイテク監視社会の独裁者は、「少を以て多を制すること」をなし得ているのです。
しかし、「ビッグデータ監視国家」がずっと維持されるとはかぎりません。こうした独裁体制も内部に特有の脆弱性を抱えているからです。
私の近未来小説『セレモニー』は、ハイテクで人民を監視する独裁国家が、私利私欲に走った数人の“小者”による「民主化宣言」によって崩壊する、というストーリーです。この小説に、「英雄」「梟雄」「民衆の叛乱」「権謀術数」といった『三国志』や『水滸伝』でお馴染みの人物やテーマは、いっさい登場しません。「軍隊のクーデタ」「政権崩壊の前兆」などもありません。登場するのは、「保身にあくせくする官僚」「野心的なビジネスマン」「辺境の平の警官」「政治的音痴のエンジニア」といった“小者”ばかりで、彼らが1滴も漏らさぬ強固な「ハイテク独裁体制」をあっけなく崩壊させる様を描きました。
「ハイテク独裁体制」には重大な“アキレス腱”があります。独裁者自身は、絶えず進歩するテクノロジーを理解できないので、少数の専門技術者に頼るしかなく、そこでは「旧来の専制的な統治方法」は通用しません。コンピュータを操作する専門技術者の思考は、論理的なアルゴリズムと密接不可分です。このような少数者に“1粒の砂”による“力の波”の衝撃が及べば、崩壊が突如として起きます。つまり、「ハイテク独裁」は、かつての独裁体制より実は脆い、とも言えるのです。
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source : 文藝春秋 2020年2月号