ヒトは再び遊動生活をはじめる

山極 壽一 総合地球環境学研究所 所長
ライフ 社会 テクノロジー
山極氏は1952年生まれ、東京都国立市の新興住宅地で育った。湯川秀樹にあこがれ、京都大学理学部に入学。志賀高原のスキー場でサルを観察中の先輩に出会って人類学を志望し、78年よりアフリカ各地でゴリラの野外研究に励んだ。主な著書に『父という余分なもの―サルに探る文明の起源―』『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』、作家小川洋子氏との共著に『ゴリラの森、言葉の海』がある。2014年より京大総長。
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山極壽一(京都大学総長)

ヒトは本音の生き物

 私は20代からゴリラの生態を調べるため、アフリカの熱帯雨林のジャングルにテントを張り、ゴリラを追いかけて暮らしていました。今は京都大学の総長としてオフィスワーク中心の毎日を送っていますが、正直言ってこの生活が自分に似合っているとは思っていません。

 大学も、日本社会の組織の1つです。朝から会議はあるし、こうした取材が入ったり講演したり、あるいは東京に出張して各省庁で折衝したり会議に出たりとスケジュールはすぐ一杯になる。毎日毎日、時間に追われながら、膨大な情報を読み、発信しなければなりません。

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 どこの世界も人は時間に追われて生活しています。アフリカの森でもやらなければいけないことはたくさんありました。研究の合間に、食料を集めに村に出かけ、村人の相談に乗って問題を解決し、酒を仕込み、調査を手伝ってもらった村の人たちのために山羊をつぶしたりして宴会の準備をしなければなりませんでした。仲間や村の人々とペースを合わせなくてはならないから、自分の時間もろくにありませんでしたが、それでもずっと気軽でした。今の忙しさとはどこかちがう。

 ITやAIの発展で現代社会は急速に変わりつつあります。スマホやパソコンを通じて情報をやり取りできるのはたしかに便利ですが、人はますます忙しくなり、人と顔を合わせ、食べ、遊ぶ時間はどんどん失われている。自分だけの時間が確保できるならお金を払ってでも欲しいという人は多いでしょう。

 人は本来もっと身軽に、気軽に生きたいと思う動物です。そもそもサルやゴリラと同じ霊長類の一種だし、チンパンジーとの共通祖先から分かれてから700万年たつけれど、農耕牧畜がはじまる1万2000年前までは、ジャングルやサバンナで食料を探し回る「遊動生活」を送っていました。人にとっては遊動生活こそ、自然な生き方であって、土地に根を張って生きる定住生活はかなり新しいライフスタイルなのです。

 つまり人は本能的には、自分というものを決定したくない、組織や土地にしばられたくない。気ままに暮らすのが好きで、自己実現、自己責任なんて重いものは背負いたくない、というのが本音の生き物のはずなのです。

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総長室のゴリラグッズ

モノを買わない理由

 私はIT社会がこれからもっと進んでいくと、人はもっと身軽で気軽な社会を求めるようになっていくとみています。ITやAIは人の生活を縛る方向のみに働くものではない。高度な情報通信技術は、逆に遊動生活を可能にする有力なツールになりえると考えるからです。

 遊動生活というと遠い国の話のように聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。日本の若い世代がモノを買わない、所有しなくなっているのは、その始まりかもしれないのです。

 これまではモノを所有することで暮らしが成り立ってきました。あるいはモノがビジネスを支える中心だったわけです。車、家、洋服など、所有するモノで人の価値が決まっていたところもあります。所有するモノが高級であれば、その人の価値は高まるので、モノがステータスの象徴にもなっていました。

 しかし、この考え方はすでに崩壊しつつあります。若い人を中心に、必要なモノはシェアリングして身軽になることが大事になってきているからです。

 たしかに自家用車を持つよりも、必要な時だけ気に入った車に乗れるカーシェアリングのほうが便利です。洋服だってネット通販やフリマアプリを効率的に使うことで、その時々の気分にあったものを好きなように着たほうが楽しい。流通している様々なモノの中から、その時々で欲しいモノだけを手に入れて、使い終わったらネットに流してしまえばいい。

 モノを所有しない生活は合理的です。お金はかからないし、モノを置いておくスペースも必要ない。捨てる手間もはぶけます。

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 大昔は人間も、モノを持たずに生活していました。狩猟採集生活をしていた先史時代の人間はモノを持っていません。これは現在の狩猟採集民も同じで、狩猟に使う弓、槍、網などの道具はすべて共有、最小限のモノしか所有しない。まさに現代のシェアリングと重なります。所有が価値を持つようになったのは、農耕牧畜を知り定住生活を始めてからのことです。これが私たちの時代まで続いてきました。

会社や土地にもう縛られない

 ホモ・サピエンスという生物の歴史の中では、所有しない時代のほうが長かったわけで、現代の若者は人本来の価値観を見直し、そこに戻ろうとしているようにも見える。自分の手元にあるモノは一過性であって、所有しないことで、身軽な生活が手に入ると気付き始めたのです。

 ではモノが人の価値を決めないのなら、何が人の価値を決めるのか。

 それはその人の「行為や社会関係」ということになるでしょう。人のために、社会のためにどんな行動をしているか、どんな人たちとどんなことができるのか――という「行為とその効果」が、これからの人の価値を決める重要な判断基準になっていきます。狩りや釣りが上手い、料理が上手、老人の面倒を見る、人を笑わせるのが得意……これもまた人本来のあり方に戻ることに他なりません。

 ネット社会の中では、すでに「人間のデータ化」が始まっていて、人間が情報としてしか扱われない場面が増えている。そうなると人はいろいろな形でひとくくりにされ、「類」に分類されてしまう。それでいいという人は少ないでしょう。

 人は個性を重んじる存在であって、人とおなじではがまんできない。どんなに情報化が進んでも、単なる情報として扱われることに甘んじることはできない。人は他の人とは別の生き方をしなければ満足できないものなのです。

 モノから行為に価値の重点が移ったとき、何が起きるのか。おそらくこれまでのような「モノが動く時代」が終わり、「人が動く時代」がやってくると私は予想しています。

 AIやロボットの発展で、工場の自動化(ロボット化)はさらに進み、物流も自動運転化が進む。そうなれば、工場はごく少数の人が管理するだけでやっていけます。モノの生産もモノの移動も、基本的に人間以外がやるのでコストは下がる。そうなると人は会社や工場に留まる必要がありませんから、複数の場所で活躍することができるようになっていく。

 考えてみれば、会社や工場は近代的な発展モデルです。モノと人を1カ所に集めて大量生産を効率的に行うことには向いていました。しかし、もうその必要がないわけですから、再び土地にしばられない生き方ができるようになるわけです。

「複数の自分」は楽しい

 最近の大学生の就職傾向も、この文脈でみると理解しやすいかもしれません。いま大学を出て会社に就職する若者のうち、30%が入社から3年以内に転職する時代です。1つの会社で定年まで勤めあげる、という考え方は今後一層薄まっていくでしょう。

 一方で増えていくのは、ベンチャー志向です。企業を立ち上げて、ある程度業績が上がったら会社ごと売って、また別のベンチャーを立ち上げる。あるいは2つ3つの企業を掛け持ちして勤める――という組織に縛られない経済活動への参加が今後増えていく。すでに現代の若者にとって、こうした考え方は目新しいものではなくなっています。

 複数の場で活躍し、複数の自分を持つ時代はそう遠くないうちにやってくるでしょう。例えば、都会で会社員として働きながら、休日は故郷の町でまったく別の顔を持つ。それは町内会のリーダーかもしれないし、環境保護のボランティアかもしれません。

 ネットの中で複数の自分を持つことはもはや当たり前です。違う自分になることで、色々なネットワークに参加することができます。アバターになってしまえば、性別や年齢も楽に超えられる。男性が女性として振舞ったって構わないし、複数のパーソナリティやキャラクターを使い分けることも可能です。

 ネット社会は、すっと参加できるし、すっと抜けることができる。ボランティアもそうですが、組織が持続的ではない。組織は一時的なものであって、自分の好みに応じていろいろ参加できる。遊動生活の魅力は、今までとは違う自分を発見することでもあるのです。

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source : 文藝春秋 2020年2月号

genre : ライフ 社会 テクノロジー