宮本顕治 僕は何か間違いを犯したのか

筆坂 秀世 元日本共産党政策委員長

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戦前からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した通称ミヤケンこと宮本顕治(みやもとけんじ)(1908―2007)。その実像を、元共産党参議院議員の筆坂秀世(ふでさかひでよ)氏が語る。

 

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 共産党による社会主義革命は、ソ連、中国がそうであったように暴力革命というのが「鉄則」であった。日本共産党もスターリンや毛沢東の武装闘争方針に指導され、1951年にその路線を採用して火炎瓶闘争などにのめりこんでいった。だがこの武装闘争方針は、「暴力的な共産党」「共産党は怖い」ということを国民の心に刻印させただけであった。結果、戦後、侵略戦争に反対した政党としての期待から1949年総選挙で35議席を確保していたにも拘(かか)わらず、52年総選挙では1議席も確保できないまでに国民から見放されていった。共産党史上、最大の危機であった。

 この武装闘争方針を「極左冒険主義」として批判・総括し、議会での多数派確保を通じて社会主義革命を行なうという今日の日本共産党の路線をつくりあげたのが宮本顕治氏であった。その意味で間違いなく宮本氏は、日本共産党「中興の祖」と言えるだろう。

宮本顕治 ©文藝春秋

 戦前、共産党員が治安維持法違反で逮捕されれば、作家小林多喜二のように特高警察による拷問で命さえ奪われた。だが宮本氏はそのなかでも黙秘を貫き、12年間もの獄中闘争をおこなった人だった。多くの党員が拷問に耐え切れず、警察に迎合的な陳述をし、転向するものが続出した。そのなかで宮本氏は、まさに稀有(けう)な人であった。

 私などは到底まねができないと思うと畏敬の念で仰ぎ見るしかなかった。共産党員は清廉であり、邪心や妬(ねた)み心を持たず、革命のためには鋼鉄のような強い意志を備えていなければならないと教育されてきた私たち若き党員にとって、目標とすべき巨人であった。だが宮本氏も人の子、聖人君子などではもちろんなかった。

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source : 文藝春秋 2013年1月号

genre : ニュース 政治