生活保護を受ける教員がいるという現実。教育実習生が教員にならないという現実。“学校の先生”はもはや普通にいる存在ではない。各地で悲鳴が上がる「教員不足」の現場をレポートする。
秋山氏
教育実習生が教員にならない
「この仕事に未来はない、かな。キャパを超えているのに、人がいない。何とかするにはもう教師をやめて政治家になるしかないですね」
東京都の公立小学校で教員をしている松原葵さん(仮名、40代)は自嘲気味に笑った。週末の昼下がり、繁華街のレストランは賑わっているが、土日出勤が多い松原さんは「こういうの久々」とつぶやく。
前日も教員の未来に絶望したという。初任の20代の男性教員の授業を見に行ったところ、児童の答えが合っていても解き方の些末な点にこだわり不正解とし、話が結論にたどり着かないまま時間切れに。校長が男性にやんわり注意すると、
「僕だって一生懸命やってるんですよ!」
と激昂した。男性はそれまでにも児童相手に尋常でない怒鳴り声を上げたことや、保護者に虚偽の報告をしたことがある。そんな言動を見かねた先輩教員が指導しようとしても、チッと舌打ちして聞き流すか、手近な人や物にあたるばかりで、この1年近く改善してこなかった。
こんな若手ばかりではないのですが、と前置きして松原さんは言う。
「彼のような、自分本位で子どもとも大人ともコミュニケーションの取れない若手が年々増えている印象です。採用する時に見抜けないのかとも思いますが、最近は大体通っちゃいますからね」
東京都の小学校教員の採用試験は、男性が受かった2019年度採用で1.8倍。全国的にも、同年度の公立小学校教員採用の倍率は2.8倍で過去最低だった。第2次ベビーブームに対応するため採用された世代が大量退職し、採用の枠が拡大した一方で、受験者数が減っているためだ。教育現場では教員の質を担保できるボーダーラインは3倍と言われるが、その線を下回っている。
松原さんが「未来はない」とするのは、単に「教員の質の低下」という問題ではない。
ギリギリの教員数で回しているところに困った若手が入ってくれば、指導する暇もなく残りの教員に仕事が集中する。松原さんの平日の勤務時間は午前8時から午後10時。警備の都合上切り上げるだけで、仕事は残っているので休日出勤も多い。激務によって現在2人の教員が病気休職しており、穴を埋める非正規雇用の教員を確保するべく、松原さんら同僚がLINEのグループなどで急ぎ呼びかけると、返事は「いない」「うちの学校も探してる」ばかり。退職教員にも声をかけたが「惜しい、今から別の面接」と言われた。
結局、副校長が穴埋めし、副校長の事務仕事は校長が担うことに。休日返上で「自分も倒れちゃおうかな」と冗談めかす副校長を見て、教員こそ天職というような人の病休が相次いでいることが頭をよぎった。
絶望のとどめは、受け入れた教育実習生が教員にならないことだ。松原さんは「できるかぎり手間ひまかけてフォローするのですが、最初の挨拶で『教師になる気ないんで』とか、採用された後に『やっぱり大学院に行くことにしました』とか……もう9年連続で教員になっていないです」と話す。そして新年度には、低倍率をくぐり抜けた冒頭の男性のような初任を受け入れる。「彼が担任を受け持っている子どもたちも、高学年になる頃には荒れちゃうんだろうな」とため息をついた。
過労死ライン越え
教員のなり手が不足し、全国の教育現場から「人が足りない」という悲鳴が上がっている。
志望者が減った最たる理由は、教員はブラックな労働環境にあるというイメージが浸透したことだ。教員勤務実態調査(2016年実施)では、月当たりの平均の時間外勤務は、小学校で約74時間(土日勤務を加えると約83時間)、中学校で約98時間(同約125時間)。平均値でも、過労死ラインである1ヶ月あたりの時間外勤務80時間を超えることが分かった。教員の精神疾患による病気休職はこの10年以上、毎年5000人前後で高止まりしている。踏みとどまる教員も、松原さんのように疲弊している人は多い。
過労死ライン越えの勤務が常態化
学校が教員を育てられなくなると、子どもたちを育てることもできなくなる。
15年にわたり複数の学校ですべての学級を見てきた東京都のスクールカウンセラーの女性は、「学級崩壊は今、どの学校でも必ずある」と言い切り、こう説明する。
「子どもたちが荒れる一番の原因は、授業がつまらないこと。一方的に抽象的な説明をするだけで、子どもが授業中に黒板に落書きしたり廊下に出たりしても注意さえしないような先生も最近は増えています」
ある学校では、学年主任から「あのクラスだけ妙にテストの平均点が高い。どんな授業をしていますか」と聞かれた。女性がそのクラスに入ってみると、担任が事前にテストの問題を読み上げていた。女性は「今どき各教室を巡回できるのはスクールカウンセラーくらいで、特に若い先生が他のクラスを見る時間がなく、自分のやり方しか知らないのは問題」と危惧する。
若手にも言い分がある。静岡県の中学校教員の20代女性は、「民間企業では入社直後に新人研修を行うのが普通なのに、教員は1年目の4月1日から担任を持たされて、学校のシステムもわからないまま働かされることに無理がある」と苦言を呈する。
女性は、「学生時代に出会った先生に憧れた」のが教員の志望動機だった。しかし教員になって4年が経つ今、やりがいを感じる反面、その先生のように働き続けていけるかわからないという。「結婚・出産したら今のように部活や担任を持って長時間働ける自信はないし、かといって他の先生にしわ寄せが行くのは申し訳ない。辞めてもいいかなと思っています」と吐露する。
民間企業への流出
教員養成の現場も苦心している。
140年超の歴史を持ち、教員採用試験で全国トップクラスの合格率を誇る国立の教員養成大学、大阪教育大学。大阪府柏原市のキャンパスを訪ね、テラスでおしゃべりをしていた2回生8人に教員になりたい人がいるか声をかけると、全員が手を挙げた。ただ、進路に迷いがないわけではないらしい。一人が「学校は人手を増やしてほしい。授業で過労死の話を聞いたりすると心配になる」と言い出すと、一様に頷いた。
同大学キャリア支援センターの平畠浩司さんはこう解説する。
「教員養成課程の子は当然先生になりたいと思って入学してきますが、授業の中で教員の厳しい部分がクローズアップされる機会もあります。その時点で『教員ってヤバそうだ』とマイナスイメージを持った子が教育実習へ行くと、実習がそのイメージの裏付けをするためのものになってしまうことがあります」
同大学でも教員採用試験を受ける学生数は「ものすごい勢いで減っている」という。学部生・院生を合わせて毎年1000人程度が卒業するが、そのうち採用試験を受けた人数は、2015年度卒で650人ほどだったのが、19年度卒で550人ほどに減った。
代わりに増えているのが、民間企業への就職だ。
「学生への企業のアプローチは、学校や教育委員会よりも圧倒的に上手です。インターンシップではお客さん扱いし、ブラックな面は見せずに『国立大学の学生で優秀だね、君ならやれるよ』と自己肯定感を上げてくれる。しかも最近は売り手市場ですから、就職先を聞くと、親戚のおじさんなら『頑張ったね』と言うような名の通った企業が多いです」
先生をあきらめる学生たち
高校生時点で教育大学を目指す層が減少しているという問題もある。同大学の志願者数(推薦入試や留学生を除く)は、2010年度(4135人)から2019年度(3216人)の10年間で919人も減少した。
同大学では近年、教員になる学生を増やそうと様々な取り組みをしている。教員を目指そうと考えている大阪府立高校の1、2年生には「教師にまっすぐ」と銘打った育成プログラムを実施し、今年度は約90人が参加した。また、入学後の学生に対しては、1、2回生が学校現場で教育活動や部活動の支援や補助業務を行い、大学での事前事後指導を受けることで単位を取得する「学校インターンシップ」を行っている。
同大学キャリア支援センター長・社会科教育講座教授の手取義宏さんがその意義を語る。
「これまで教育実習を迎える前の1、2回生のうちに志が冷める学生が多かった。モチベーションを維持するためには、現場に行き、子どもと接することが大きいのです」
ただ、大学が懸命に学生の背中を押しても、教員の「ブラック」なイメージは保護者にも知れ渡っている。同大学の保護者向けの就職説明会は、教員志望対象と企業・公務員志望対象とに分けて行っているが、直近の参加者はほぼ同数だった。保護者が子どもに対し、「教員の厳しい世界で生きていけるの」と再考を求めるケースもあるという。
2017年度に全国で授与された教員免許状は、小学校約2万9000件、中学校約4万8000件。だがその年度に採用試験を受けた新規学卒者の数は、小中学校それぞれ約1万8000人にとどまった。その落差は、教員免許を取得しても採用試験さえ受けず、教員以外の道を選んだ若者が数多いることを示している。
志願者が減ったとはいえ、採用試験の倍率が1倍を切っていないのだから頭数は揃っているように見えるかもしれない。だがそれはあくまで正規に採用される教員の話だ。
昨年8月、朝日新聞は全国の教育委員会に調査を行い、各地の公立小中学校で1241件の教員の「未配置」がある(同年5月1日時点)と報じた。主に、少人数学級や特別支援教育などの担当、病休代替、産休・育休代替がいないという。
非正規で穴埋め
なぜ頭数は足りているはずなのに、各地で「先生が足りない」事態が発生しているのか。それは、こうした枠を埋めてきた「非正規雇用の教員」が不足しているからだ。
佐久間亜紀・慶應義塾大学教授は、経緯を次のように解説する。
「2001年以降の行財政改革の結果、正規教員の数が減らされ、地方自治体は非正規教員への依存を高めた。その一方で、国は教員免許をとりにくくする政策を展開したため供給数が減り、非正規を経てでも教職を目指す人の層が枯渇してしまった」「しかも、教育改革で仕事の量は増やされ続けたため、教員全体が疲弊しており、精神疾患による病休が増えるなどして、さらに非正規教員が必要になるという、負の連鎖が生じている」(「論座」、2019年6月15日「教員不足6つの処方箋」より)
非正規教員は、常勤講師(臨時的任用教員)、非常勤講師、再任用教員に大別される。少し古いデータだが、文部科学省によると、公立小中学校に占める非正規教員の割合は2011年時点で16%。うち常勤講師が8.8%(約6.2万人、5月1日に勤務していた実数)、非常勤講師が7.2%(約5万人、同前)だった。割合の多い常勤講師は、採用試験を不合格となった人が教育委員会の講師名簿に登録し、欠員があると声がかかるのが一般的だ。フルタイムで働き、担任や部活動顧問を受け持つなど、保護者からしたら正規の教員と区別がつきにくい。しかし実態は、正規教員以上に過酷なものだ。
ワーキングプアも多い
「治療費を削るためにもう1ヶ月少々通院できていません。食事も抜いて7ヶ月で10キロ痩せましたよ」
そう力なく笑うのは、長野県の県立高校で20年近く国語の常勤講師をしていた高野透さん(仮名、43)。昨年7月、職場のパワハラなどで心を病み、退職に追い込まれた。手帳には3つのアルバイトの予定がびっしり記入されているが、生活費はぎりぎりだという。
高野さんが大学を卒業したのは、就職氷河期の2000年。公立学校の採用試験の倍率もこの時期がピークで、新卒時に不合格だった高野さんは教授に「今は厳しいから4〜5年講師で頑張るつもりで」と励まされ、常勤講師として働きはじめた。
以来8校で勤務してきたが、高野さんは自身の役割を「調整弁だった」と振り返る。
正規教員が敬遠する教育困難校や夜間定時制で教えたり、1年で別の学校へ移ったり、2校を兼務したり。「大変なクラスを持たされることもよくあります。講師は1年雇用なので大概そういうお鉢が回ってきますね」と高野さんは言う。
その間の生活は基本的に、午前4時に起床して授業準備にあたり、出勤すると息つく暇もなく授業や事務処理に追われ、部活動指導などを終えて学校を出るのは午後8時頃。採用試験は毎年受けるが、正規教員とほぼ同じ仕事をこなした上で試験対策をする余裕はなく、1次試験で落とされてきた。講師経験は一般教養の試験が免除される以外は考慮されず、「正規じゃないでしょ、で終わってしまう」。給与の面でも、初任給こそ正規と大差なかったが、どんどん差が開いた。緩やかな昇給も35歳程度で頭打ちになり、手取りは月20万円少々。将来への不安から結婚にも踏み切れなかった。
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source : 文藝春秋 2020年4月号