news zeroメインキャスターの有働さんが“時代を作った人たち”の本音に迫る対談企画「有働由美子のマイフェアパーソン」。今回のゲストは作家の川越宗一さんです。
吉野家に行きづらい
有働 このたびは直木賞受賞、おめでとうございます。
川越 ありがとうございます。
有働 早速ですが、直木賞をとって生活に変化はありましたか?
川越 僕は妻と2人暮らしなんですけど、自宅にお祝いの花がたくさん届いて、植物園みたいになっています(笑)。
有働 胡蝶蘭とか、お祝いの花って大きいから。
川越 僕が酒好きなこともあって、ビールや日本酒もいただきました。お花とお酒に囲まれて、居酒屋の新装開店みたいです。
有働 あはは、そんな状態ですか(笑)。「俺は直木賞作家だ」みたいな自覚は出てきましたか?
川越 あまりないですね。受賞会見をして、テレビにたくさん自分の顔が出たときは、「吉牛(吉野家)とかマクド(マクドナルド)とか行きづらいな、もっとええとこに行かなあかんかな」と思いました。
有働 周りのお客さんから「あ、直木賞の人が吉牛食べてはる。しかも並や!」って見られたり。
川越氏
川越 「玉子ぐらい付けえや」とかね(笑)。言われるかなと。でも、そんなことはなくて、いまもふつうに食べてますよ。
有働 川越さんは、京都で会社勤めもされてますけど、会社の方はどんな反応でした?
川越 受賞が発表された翌々日に出社したら、自分のデスクへ着くまで、周りでみんなクスクス笑うんです。「あ、ほんまに出社してきたんか、おまえ」「なんで、ふつうに歩いてんねん」みたいに言われて、「いや、会社ですやんか、ふつうにきますよ」って応えながら席に着いたら、一斉にクラッカーをパーンと鳴らされました。自分にむけてクラッカーを鳴らされたのも、スタンディング・オベーションを受けたのも人生初のことでした。
有働 いい話ですね。素直に「おめでとう」じゃなくて、まず、いじるのが関西流ですね。
川越 はい。でも、あれは嬉しかったですね。
贈呈式の様子
きっかけは北海道旅行
有働 受賞作の『熱源』は、樺太(サハリン)生まれのアイヌ、ヤヨマネクフと若くしてサハリンに流刑となったポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキという2人の実在した人物を主人公に、日本とロシアの同化政策に苦しみ、戦争に運命を翻弄されながらも逞しく生きる姿を描いた作品です。北海道、樺太のほか舞台はヨーロッパや東京などにも移り、直木賞選考委員の浅田次郎さんは「近年まれにみる大きなスケールで小説世界を築きあげた」と評されました。
読み始めて、登場人物の名前や地名が頭に入るまでは「ああ、読み終わるまで何日かかるんだろう」と思いましたけど、途中からあっという間に引き込まれました。普段小説を2度読むことはないんですけど、『熱源』は読了後また頭から読み返しています。
川越 ありがとうございます。
有働 この壮大なストーリーを着想したのは、奥さまと北海道旅行したのがきっかけだったとか。
川越 はい、5年ほど前です。実は新婚旅行も北海道だったんですけど、とても楽しかったので「また行きたいね」とずっと話してたんです。そしたらお互いに4泊ぐらいできる時間ができて。とくに行き先は決めずに、妻の運転であちこち見てまわりました。
有働 川越さんは一切運転せず?
川越 はい、免許を持ってないので。助手席でずっとビールを飲みながら「次はあっち行こう」「こっち行こう」と言ってるだけでした。
有働氏
有働 グータラな夫じゃないですか(笑)。
川越 まったくその通りです。それで、最終日に新千歳空港へ戻る途中、白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館(現在は国立化にともなう工事のため閉館中)に寄ったんです。フライトまでまだ時間があるから「ちょっと行ってみようぜ」ぐらいのノリで。
博物館ではアイヌの村が再現してありました。楽しいなぁとウロウロしていたら、胸像がぽつんと展示してあったんです。ブロニスワフ・ピウスツキというポーランド人で「アイヌと極東先住民研究の開拓者。白老に滞在して研究に勤しんだ」といった内容の解説文が数行ありました。でも、ポーランドって、北海道からえらい遠いですよね。「なんで来たんやろうな」と興味をもって調べてみたんです。
有働 数行の解説を読んだだけでそう思ったんですか?
川越 はい。僕にはもともと、なんでもすぐ調べたくなる“癖”がありまして。食事中に醤油を使ったらふと、そもそも醤油って賞味期限どれくらい持つのか調べだしたり、トイレットペーパーを切らしたら「そういえば、人類はいつから紙を使ってるんやろ」とスマホで検索してみたりするんです。
有働 すごい癖ですね。それでピウスツキについても調べ始めた。
川越 はい。調べていくとびっくりするほど壮大な人生でした。彼の弟は、ポーランド独立の英雄なんです。古い友人にレーニンの兄がいたり、南極探検に参加したアイヌ人と知り合いだったり、東京で大隈重信と会って、二葉亭四迷と友達になったり。誰かこの人を漫画や映画にしてくれないかと思ったぐらいです。
有働 自分で書いてみたいとは思わなかったんですね。
A4一枚で書くプロット
川越 その頃はまだデビュー前。そもそも自分で小説を書いたこともなかったですから。「誰かが小説にしてくれたら読んでみたい」という感じでした。ただ、それから数年経って、状況が変わりました。2018年7月に僕の長編第1作『天地に燦たり』が刊行されまして。担当編集者と「次回作はどうする?」という話になったのです。
有働 それで昔の調査結果を思い出した。「ピウスツキだ!」と。
川越 はい。当時は別の短編を書いていたので、その合間に2カ月ほど舞台にしたい場所の地形や風景、文化について「調べもの」を進めました。それがある程度終わった段階で、全体のプロットを作りました。
有働 プロットってどれくらい書くものなのですか?
川越 A4用紙1枚ぐらい。主人公の2人がどうなるとか、ほかにどういう人物が出てくるとか、舞台になる場所がどこだとか、そういうざっくりしたあらすじです。ただ、実際に書き進めるとその通りには全くならないんですよ。
有働 へえ、面白い。
川越 なんか、書くうちに気が変わるんですよね。プロットの段階では、まだ自分が何を書きたいかわかってない。1つひとつ文章を書くうちに「あ、俺はこれが書きたかったんだな」とやっとわかってくるんです。他の作家がよく「キャラが勝手に動く」と言ったりしますけど、僕の場合もそれが当てはまります。
有働 キャラがそれぞれ勝手に動くとなると、物語がいつ終わるか作者でも見失っちゃいそうですね。小説を書き終えたのはいつですか?
川越 19年の7月末です。1年と少し執筆していたわけですが、いま思い返すと、大人になってから一番短い1年間でした。『熱源』を書いている時は文章を書いてるか、調べものしているか、会社で働いているか、その3つしかやってないんですね。本当ならむちゃくちゃ退屈で、長く感じるはずですけど。それだけ集中してたんだと思います。
「寂しさ」を描きたい
有働 昨年はアイヌ新法が施行され、この春には初の国立アイヌ民族博物館を含む民族共生象徴空間が白老町にオープンします。更に川越さんの『熱源』やアイヌを取り上げた漫画「ゴールデンカムイ」が脚光を浴びるなど、注目が集まっているように感じますが、川越さんはアイヌの文化をどうお考えでしょうか?
川越 まず、明治時代の同化政策によってアイヌの人たちが独自の文化を捨てさせられたり、忘れさせられたりしたのは、すごく寂しいなと思いました。この「寂しさ」を描くことは『熱源』を書く大きなモチベーションになりました。
有働 寂しさ、ですか。
川越 はい。自分は「○人である」というのは、自己のアイデンティティを形作る重要な要素の一つですよね。僕自身は「俺は日本人だ」という自己定義が揺らがされることのない人生を送ってきたので、その意味では幸福だったと思いますけど、アイヌの人たちは、そうではない境遇に置かれた。
有働 小説でもアイヌがロシア人や和人(日本人)に「未開人」と差別され、いずれ滅びゆく運命と、決めつけられていた姿が描かれます。
川越 アイヌの教育について書かれた本の中に「子どもの頃は、自分がアイヌであることが嫌だった」という証言があって、それを読んだときはすごくショックでした。自分の生まれに誇りを持てないところまで同化政策がいってしまったとすると、本当につらく寂しいことだったろうなと思ったんです。そういう思いを抱いた人たちがたくさんいて、そこで足掻いた人もいれば、自分の子どもや一族のために順応する道を選んだ人もいたはずです。そんなことを考えながら『熱源』を書いていました。
優れるも劣るもない
有働 なるほど。『熱源』にはアイヌのほかにも様々な民族の姿が描かれていますね。サハリン北部などに住むギリヤーク(ニヴフ)や島東岸に住むオロッコ(ウィルタ)。彼らを描くにあたって、意識されていたことはありますか。
川越 「弱者として描かない」ことですかね。彼らを弱い人間、助けが必要な人間として書くのだけは絶対にやめようと思っていました。「寄り添う」のも余裕がある人の横暴かもしれない。ですから、彼らには、理不尽なことばかり降りかかってきますが、その運命から決して逃げず、真正面から立ち向かう――そういう姿はわりと強めに書いたつもりです。
有働 自分では何もできない、助けられるべき存在である、みたいには描きたくなかったと。
川越 はい。それと「オリエンタリズム」というのでしょうか、“文明が進んだ者たちが忘れてしまった大切なものを彼らが持っている”というような変な憧れを押しつけないようには努めました。
一方、「強者」とされる日本人やロシア人側にも理不尽や抜き差しならない事情はある。そこらへんは立場上の差はあるにしても「ひとしなみ」に描こうというのは強く意識していました。
有働 その姿勢は読んでいてすごく強く感じました。私たちには、教科書で読んだのか、誰かに教わったのかわからないですけど、ある共通の感覚がある気がするんです。たとえば、無意識のうちに多数派と少数派を区分けして「少数の人たちには憐憫の情を持たなければならぬ」とか、「何か手を差し伸べるのが善意」とか思い込む。しかし、そこにはそもそも「多数派が正しい」という前提があることまでは気づくことができない。ところが、この本を読み進めるうち、自分のそういった感覚がどんどん弱くなっていきました。〈強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ。すべてを引き受け、あるいは補いあって〉。『熱源』のこの一文がすごく心に響きました。
川越 それはうれしいです。自戒も込めて述べるなら、多数側にいると、少数の人たちへの想像力が培われにくいというのはどうしてもあるでしょうからね。
有働 また、『熱源』には「理不尽の中で自分を守り、保つ力を与えるのが教育」と、とても印象深いセリフがありますね。しかし、現実の学校現場では、いじめや不登校、教員による体罰など「教育」そのものが「理不尽」であるケースが往々にしてあります。
川越 「教育」という言葉は、「人間がより豊かに楽しく暮らしていくための知恵みたいなものを、広く行き渡らせていくための手段」という意味で使っています。教育はそうあってほしいという期待を込めて書いたのが、今有働さんが引用したセリフです。一方、教育の現場で起きているいじめなどの問題について、僕が言えることは限られていますが、偏見が動機でコロッと人の態度が変わってしまうことの怖さは僕自身にもありますし、この本でも描いたつもりです。
有働 ああ、確かに。
書き手としてやらないこと
川越 小説家は読者に面白いと思ってもらえるような物語を書くまでが仕事ですから、現実の問題や状況に対して、どうしたらいいかという「答え」を提示することはできません。ただ、小説を通して何かを始めるきっかけをつくることはできるんじゃないかと思うんです。
有働 きっかけ、ですか。
川越 はい。だから僕は読者から「気になって登場人物の○について、歴史を調べてみた」という感想をいただくとすごく嬉しいんです。小説を読んだことをきっかけに何か具体的な行動を起こしてくれるようなものを、自分でも書けたんだなと思って。
有働 確かに、物語には、何がしか人の心を動かす力がありますね。
川越 だからこそ、この力を変な意味で使ったらあかんなという気はしています。例えば、世の中を分断させるようなことであったり、敵がいま目の前にいるみたいなことを声高に言ったり……。それは物語の書き手として一番やってはいけないと戒めています。
有働 なるほど。では、逆に川越さんはどんな小説を書きたいと思っているんですか。
川越 抽象的になりますが、なるべくみんなが仲良く暮らせるきっかけになる物語を書けたらと思ってます。僕は誰かが喧嘩しているのを見るより、イチャイチャしているのを見るほうが好きですからね(笑)。
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source : 文藝春秋 2020年4月号