ニュースで事件を知った瞬間、「来るべきものが来た」と感じた。そしてある日、2枚の便箋に綴られた手紙が届く。差出人は、あの事件を起こした殺人犯だったーー。重度の精神障害者を娘に持つ筆者が明かす、植松と交わしたやり取りのすべて。
いつ起きてもおかしくなかった事件
3月16日、いわゆる「相模原障害者施設殺傷事件」の植松聖被告(30)に、横浜地方裁判所は求刑通りの死刑を言い渡しました。植松被告は1月8日の初公判で起訴事実を認めたものの、19人の障害者を殺害した本当の動機、彼の差別思想がどのように形成されて事件に至ったかという経緯や背景は明らかにされていません。彼は「重度障害者は殺したほうがいい、生きていても仕方がない」と主張してきました。死刑が確定した今、「なぜ、あのような凶悪な犯行に及んだのか」という謎は残されたままになります。
私は判決後に記者会見を開き、新聞、テレビ等の取材にも応じました。私がコメントを求められるのは、植松被告と2年近く交流を重ねているからでしょう。手紙をやりとりし、2度の接見で直接言葉を交わし、今年1月の公判を傍聴しています。
事件は2016年7月に起こりました。神奈川県相模原市にあった県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」を5カ月前まで職員だった植松被告が襲ったのです。植松被告は職員を連れて施設内を移動しながら入所者たちを次々と包丁やナイフで刺しました。
送検時に笑う植松被告
死亡した入所者は男性9人、女性10人。怪我を負ったのは職員を含めて26人。死者19人は、戦後に起きた殺人事件としては最多です。
事件の当日、私は旧知の新聞記者からコメントを求められました。私が障害者問題に長年携わっており、さらに3女がダウン症で重度の知的障害者だったからだと思います。
私は、「来るべきものが来た」とコメントしました。こうした事件はいつ起きてもおかしくないと考えていたからです。
最首悟さん(83)は東京大学大学院動物学科の博士課程を中退後、生物学の助手を27年務めた。東大全共闘運動に助手として参加したことでも知られ、水俣病、障害者などの社会問題に関わってきた。2003年に和光大学人間関係学部教授、07年に名誉教授に。生物学者、社会学者、評論家として活動を続けている。
3女の星子(せいこ)さん(43)はダウン症で重度の知的障害があり、現在も最首さん夫婦と同居する。
自宅と隣接して統合失調症の予後の作業所である地域活動支援センター「むくどりの家」があり、最首さんは23年前からその大家も務めている。
「八つ裂きにしてやりたい」
報道では犯人が「異常な人物」と強調されていましたが、私は犯人が「正気」であると確信していました。異常者ではなく、普通の青年による犯行なのが恐ろしいのです。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2020年5月号