薬物依存症との一五九五日

清原 和博 元プロ野球選手
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逮捕から4年4カ月──6月15日、覚醒剤取締法違反によって懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた元プロ野球選手・清原和博氏の執行猶予が明ける。清原氏は「この4年間で最も大きな出来事は、ふたりの息子と再会できたことです」と明かす。地獄を見た“天才打者”が、再生への軌跡を語った。

変わったという実感がない

 最近は人に会うたび「もうすぐ執行猶予が明けるね」と言われます。じつはそれが嫌で仕方ありません。

 ぼくは2016年5月31日に覚せい剤取締法違反によって懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けました。

 その刑の効力が消滅するのが6月15日の午前0時0分です。

 逮捕されて以来、ずっと暗いトンネルの中にいるようだったこの4年間、その日がくれば何かが変わるのではないかと思ってきたのは事実です。でも今は正直、執行猶予が明けるのが怖いんです。

 なぜなら自分が変わったという実感がないからです。今も薬物への欲求は消えません。鬱病がひどくて起き上がれない日もあります。夜になれば悪夢を見ます。それが怖くてアルコールに逃げてしまっています。日々、心と体のコンディションを整えるのに必死です。6月15日がきてもぼくの内面も生活も今とほとんど変わらないんです。

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清原氏

 でも世間は執行猶予が明けたら清原はいよいよ動き出すんじゃないかと思っている気がします。それがプレッシャーなんです。いきなり聖人君子になれるわけじゃありませんから。10年以上も覚せい剤をやめていた人が逮捕されたというニュースを目にすると怖くなります。自分もいつかまたやってしまうのか……そんな想像をしてしまいます。ぼくの中に流れている血は本質の部分では変わらないですから。だから、いっそのこと一生執行猶予でもいいとさえ思ってしまっている自分がいます。

「アパッチへ」

 ただ、そんなとき、自分のいる部屋を見渡すと少し心を落ち着かせることができます。今、ぼくの部屋には1本のバットがあります。「アパッチへ」と書かれた黒いバット。これは今年の2月2日に次男がホームランを打ったものです。

清原氏(バット②)
 
次男から贈られたバット

 ぼくが逮捕されたのは2016年の2月2日です。だからその日は1年のうちでもっとも憂鬱な日なんです。今年の2月2日もやはり朝から気分的に落ち込んでいました。あれからもう4度目になるというのに、どうしても逮捕された瞬間のことが頭に浮かんできて「ああ、あと8時間後に警察に踏み込まれたんだったなあ」と、まだ外が明るいうちから時刻を変にカウントダウンしてしまっていました。

 あれは夕方を過ぎたころでしたか。携帯電話に元妻の亜希からメッセージがあり、中学2年生の次男の動画が送られてきました。

 次男は都内の硬式野球チームに所属しています。その日は練習試合だったのですが、そこでホームランを打ったんです。しかも人生初のランニング・ホームラン。その動画をぼくに送ってくれたんです。

 バーッと霧が晴れていくような感覚でした。2月2日がぼくにとってどういう日か、次男は意識していなかったと思うんですけど、ぼくにとっては涙が出るくらいに嬉しいことでした。「もし次にホームランを打ったら……」と数日前にふたりで話していたところだったんです。それをまさか2月2日に打ってくれるなんて……。

 後日、次男にそのバットをくれないかと言ったら、昔のままの呼び方で「アパッチへ」と書いて、ぼくにプレゼントしてくれたんです。人生最悪の日は息子がホームランを打ってくれた日に変わりました。

 ぼくにとってこの4年間で最も大きな出来事をあげるなら、それはふたりの息子と再会できたことです。部屋には息子たちと3人で一緒に撮った写真が飾ってあります。相変わらず、自分が変わったという自信を持てないぼくですが、次男がくれたバットやその写真を見ていると、一度は失った大切なものとまた繋がれるようになった。薬物依存症、鬱病との闘いの中で少しは前に進んでいるんだと思うことができます。

 薬物依存症の怖さは時間が経ってから迫ってくるものです。ぼくは2016年に逮捕された後、取り調べのため44日間も留置場で過ごしました。トイレットペーパー1つもらうにも「担当さん、お願いします」と手を挙げないといけない。風呂には他人の髪の毛や汚れが浮いている。「114番」という番号で呼ばれ、毎日、天井を見つめて後悔するしかなかったあの日々は二度と経験したくありません。でも、本当の地獄は保釈されてからでした。

もぬけの殻

 覚せい剤は肉体的なものより精神的な依存度が大きいんです。目に見える禁断症状は喉が渇く、手が震えるというくらいなのですが精神的に耐え難いんです。保釈後、禁断症状による自殺を防止するために千葉県松戸市の病院に1カ月ほど入院したのですが、苦しくて苦しくて院内で暴れてしまったこともありました。

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 退院した後は週刊誌に狙われることもあり、マンションに閉じこもっていました。ようやく専門の治療を受けられるようになったのは逮捕から半年以上が過ぎた頃で、国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師の元へ通うようになりました。

 先生にはまずこう言われました。「清原さん、あなたは重度の薬物依存症です。そして、薬物依存を治す薬はありません」

 ショックでした。自分の中ではどこかで現代医療に不可能なんてないのだから、薬物の欲求を抑える特効薬があるんじゃないかという気持ちがあったからです。

 ただ先生はこうも言いました。「この病気は治ることはありませんが、回復することはできます」

 それから薬物依存症回復プログラムのテキストを渡されました。「ホワイトブックレット」と呼ばれるもので、そこには過去の辛い経験を打ち明けて棚卸ししたり、自分が傷つけた人のリストをつくったりという回復のためのプログラムが書かれています。ただ、ぼくが目を奪われたのは世界中の薬物依存者が綴った体験記でした。そこにはぼくが見てきた地獄がそのまま書かれていたからです。どの患者も皆、最初は一瞬だけというつもりで手を出し、自覚のないまま薬物に支配されていくんです。

 ぼくの場合、2008年に現役を引退してから少しずつ何かが狂い始めました。野球を辞めてからは家族と過ごす時間が増えて、週末になれば長男が出る少年野球の試合を見にいくことができました。振り返ってみれば、これ以上はないという幸せの中にいたんです。

 それなのに当時のぼくは何かが足りないと感じていました。どこかでホームランの快感を追い求めていて、バットを持たない自分は何者でもないような気がしていたんです。

 その悩みを忘れるために夜な夜な酒を飲むようになり、ある日、覚せい剤を持っている人物に出会いました。これをやれば憂鬱なんて吹っ飛ぶという甘言に誘われて、本当に軽い気持ちで手を出したんです。その1回がすべてでした。

 家に帰れば、いつもの自分のつもりでした。ただ、だんだんと量が増えていき、覚せい剤を買いにいくために友人や知人との約束をすっぽかしたり、仕事もすっぽかしたり、家族との時間さえ削っていくようになりました。

 記憶も曖昧になっていきます。暴言を吐いたり暴力を振るった記憶はないんですが、そういうこともあったのかもしれないと怖ろしくなります。おそらく元妻の亜希はそれに気づいて、ずいぶん悩んだのだろうと思います。ただ、ぼくは薬物に支配されていることに気づかず、相変わらず「いつでもやめられる」と考えていました。

 そしてある日、家に帰ったら妻も子供もいませんでした。荷物も何もかもなくなって、もぬけの殻です。ぼくがいちばん大切なものを失った瞬間でした。

短刀で腹を切ろうと

 家族を失ったぼくは孤独を埋めるためにどんどん薬物を使うようになっていきました。はじめは少量の覚せい剤を水で溶かし、熱してから(煙を)ストローで吸引する「あぶり」という方法だったのですが、もう自暴自棄になっていたので注射器を使って静脈から直接体内へと入れるようになっていきました。使うと頭がすっきりと冴えて何日も眠らなくて平気になります。そして効き目が切れると何日間か死んだように眠り続けるんです。人間の脳は快感を覚えると、次からは同じ快感では物足りなくなるので、さらに強い刺激を求めるようになります。薬物の量はとめどなく増えていきました。

 あまりに大量の薬物を使ったため、気を失って病院にかつぎ込まれたこともありました。医学用語でいう「オーバードーズ」で、頭に電気を流してかろうじて命をとりとめました。集中治療室のようなところへ岸和田から両親が駆けつけて、お母さんは医師の足にすがりついて「お願いです! 先生、なんとかこの子を助けてやってください!」と泣いていたそうです。

 それでもぼくは誰にも打ち明けられず、誰かに助けを求めることもできず、自己嫌悪からまた薬物を使ってしまいました。やがて、もうこんな自分を止めるには命を絶つしかないと考えて、短刀で腹を切ろうと思いました。それでも結局、死ぬことさえできませんでした。薬物という泥沼に首までどっぷりと浸かって、もがくことさえできない。逮捕されたのはまさにそんなときでした。

 皆、同じなんです。薬物をコントロールすることは絶対にできません。正しい知識を持ち、人と繋がっていくしかないんです。治療に通い始め、ホワイトブックレットを読んで初めてわかりました。

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 ただ最初の2年間は治療も思うようには進みませんでした。ぼくは鬱病も患っていたからです。不安や落ち込んだ気持ちを覚せい剤で高揚させていた人間は、それがなくなった反動で鬱病になる可能性が高いそうです。ぼくは致死量相当を使っていたので鬱病もそれに比例して、とくに重い「大鬱」というものでした。

 朝、目覚めても何もやる気が起こらず、考えるのは死ぬことばかり。気がつけばマンションのベランダから下を覗いたり、携帯電話で「自殺の方法」を検索していました。最初の2年は倦怠感ばかりで真っ暗闇にいるようでした。

もう一度、お腹に戻したい

 大きな転機が訪れたのは2019年の3月5日のことでした。

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source : 文藝春秋 2020年7月号

genre : エンタメ 社会 スポーツ