世界中を混乱と恐怖で覆っている新型コロナウイルス。感染拡大を防ぐために人びとの生活は大きく変わった。緊急事態宣言が発令されたことによる自粛生活によって、対面でのコミュニケーションが減り、代わりにインターネットを使ったオンラインでの活動が活発になった。それに伴いSNSの利用も急増したが、自粛期間中にその功罪ともいえる2つの象徴的な出来事が起きた。
ひとつは検察官の定年延長を可能にする「検察庁法改正案」に対する反対運動だ。著名人を含む、それまで政治的な発言をしてこなかった多くの人々が声を上げ、反対世論に押し切られる形で、政府・与党は法案の今国会での成立を見送った。そして、もうひとつは人気リアリティー番組『テラスハウス』の出演者である木村花さんの死だ。生前、木村さんがSNSで激しい誹謗中傷にあっていたことがわかっている。
自らもネットメディアを率いる評論家の宇野常寛氏は、著書『遅いインターネット』で、近年の情報ネットワークとの付き合い方を見直すべきだと提唱している。コロナ禍におけるインターネットとSNSの使われ方をどう見ていたのだろうか。(インタビュー・構成 杉本健太郎)
パンデミックとインフォデミック
――新型コロナウイルスで社会が揺れるなか、「トイレットペーパーは中国で大量に生産されているから品薄になる」「5G電波が新型コロナウイルスを拡散させている」といったデマやフェイクニュースが飛び交いました。こういった偽情報はなぜ拡散されてしまうのでしょうか?
宇野 まず真っ先に考えなければいけないのは、パンデミックをインフォデミック(ネットで噂やデマを含めた大量の情報が氾濫し、現実社会に影響を及ぼす現象)が補完するような状況が見られたということですね。パンデミックに対する恐怖で不安になった人々は、少しでも安心するために不確かな情報に飛びついて、それを自分に言い聞かせるように拡散していく。今回のコロナ禍は、何が正解かわからないという状況に多くの人々を叩き落としました。僕たちはわからないなりに少しでも正確性の高い情報を選択し、暫定的に自分の行動を決定しながら、試行錯誤していくしかない。それは不安な時間に耐えることを意味するのだけど、それができずに目の前のインスタントな「正解」に飛びついてしまった人がたくさんいたということです。僕たちは「わからない」ことを受け入れ、不安とうまく付き合っていく知恵が必要なのだと思います。わからないならわからないなりに少しずつ対象に距離を詰めていく、間違えたと思ったらすぐに引き返す、という当たり前のことができない人がなまじ発信能力があるために、インフォデミックの温床になったわけです。
3.11の時の教訓を生かせなかった
――2011年の3.11の時はSNSが放射能デマなどの温床になっていたと思うのですが、今回もSNSの問題点は感じますか?
宇野 全く一緒だと思います。日本人はたかだか10年前にそのことを経験したにも関わらず、今回その時の教訓がほとんど生かされていたとは思えません。これは非常に残念です。
――3.11の時の教訓を生かせなかったのはなぜでしょうか?
宇野 日本人にとって3.11というのはSNSを普及させた事件でした。Twitterを中心に日本のインターネットが一つの大きなムラになったんです。一方ではこの9年で誰もが閉じた相互評価のネットワークの中でのポイント稼ぎに夢中になっていった。一つの事件が起きると、その事件に対してどうコメントすれば好感度が上がり、リツイートされ、フォロワー数が増えるのかということを考えて発言するようになった。タイムラインの潮目を読みながら行う大喜利のようなものです。それも目立ちすぎた人や失敗した人に対して「今なら安心してこいつを叩ける」と石を投げて、「共感」を稼ぐゲームが定着してしまった。3.11は日本のインターネットを一億総参加のいじめエンターテイメントに変化させた契機だったわけです。SNSをストレス発散や卑しい自己実現に使うことを大衆が覚えてしまった。
そしてもう一方ではフィルターバブル(インターネットの検索履歴が「フィルター」となって同じような情報ばかりが表示されてしまい、その結果、まるで「泡」の中にいるように、自分が見たい情報しか見えなくなってしまうこと)のなかで、フェイクニュースや陰謀論にすがることで自分の精神を安定させることを覚えたんです。
日本におけるTwitterの利用のされ方は普及フェイズから間違っていたし、3.11の時から変わっていないどころか悪くなっていると思います。
宇野常寛氏
「#検察庁法改正案に抗議します」運動
――自粛によって、良くも悪くも人々がインターネットやSNSに触れる時間が増えたと思うのですが、「検察庁法改正案」に対する反対運動など、インターネット上での政治運動をどう見ていますか?
宇野 僕は検察庁法改正案への反対運動に関しては基本的に肯定的に捉えています。個人的に、普段政治的な発言から距離を置いていて、発言をためらわない僕を心配しているような友人達が次々と声を上げていたことが嬉しかった。ただこれを一過性のお祭りに終わらせてしまっては意味がありません。
Twitterが普及した頃に津田大介さんが「動員の革命」という言葉を使いました。その背景には「アラブの春」などのSNSを動員ツールに使った社会運動の盛り上がりがあり、津田さんは日本の反原発デモもその一つとして位置づけようとしていました。ただ「アラブの春」は軍事政権の打倒に成功したものの、一過性のポピュリズムとしての側面が大きくて、不安定な政情と権力の空白を生んだ結果、原理主義勢力の台頭をもたらしてしまった。重要なのは祭りの後です。問題提起として祭りを起こすことは大事ですが、その後に運動を持続的に日常の中で続けていく足腰が鍛えられていないと「アラブの春」と同じ過ちを犯していくと思います。今回の検察庁法改正案に関する議論も、これをきっかけに三権分立のパワーバランスをどう見直していくのかということをしっかり議論して、継続的なアクションに繋げていくことが大事だと思っています。
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