本当の飼い主の元へ戻るため、日本を縦断する一頭の犬・多聞と、様々な事情を抱える人々との出会いを描いた『少年と犬』。馳星周氏はこの作品で、第163回直木賞を受賞したばかりだ。
自身も長年犬と暮らしてきた馳氏。作中の犬・多聞が見せる表情にはどれも実感がこもる。
〈あの犬の目だ。瀕死の重傷を負い、助けを求めているくせに、どこか超然とした目。どうしてあんな目つきをしていたのか、知りたかった〉
〈思慮深そうな目が美羽を捉えている。引き込まれてしまいそうな漆黒の目の奥には、しかし、問いかけへの答えは見つからなかった〉
30歳から始まった犬と「家族」になる生活で、馳氏の人生はどう変わっていったのだろうか。
小さな頃から飼いたかった
僕の人生は、犬と暮らすようになってがらりと変わりました。
わが家に最初の犬を迎えたのは、僕が30歳のころ。それまでは編集者をしているときも、作家になってからも、毎晩遅くまで飲み歩く生活を送っていました。今振り返ると、とんでもない、信じられない生活を送っていたと思いますよ。
犬はもともと大好きで、小さな頃から飼いたかったんです。祖父の家で飼っていたから、しょっちゅう遊びに行ってはいっしょに遊んでいて、うちでも飼いたいと親に何度も頼んだんだけど、母が「動物は死ぬのがいや」と断固として反対するので、結局家では飼わせてもらえなかったんですね。
馳星周氏
大人になって念願叶って初めて飼ったのがバーニーズ・マウンテン・ドッグのマージョリィでした。
「犬を飼うならやっぱりハグができなくちゃ」と、体高60センチ前後、体重が35キロから60キロに達することもある大型犬のバーニーズを選んだ。ふさふさとした豊かな毛と、白、黒、茶のトライカラーが特徴で、何より穏やかな目は、彼らの性格をよく表しています。
今から25年ほど前、東京から浜松にいるブリーダーのもとへ見に行ったところ、まだ生後2ヶ月のマージに一目惚れ。何が何でも連れて帰りたいと思い、すでに8キロもあった彼女を小型犬用のキャリーバッグに入れ、新幹線に揺られて帰ったことを覚えています。
当初は決して理想的な飼い主だったとは言えません。飲み歩く癖が抜けず、しょっちゅう家を空けていたから、かわいそうなことをしてしまったと思います。
けれど、飼い始めて少し経った頃から、飲み歩くことはもちろん、取材などで長期間家を空けることをほとんどしなくなった。飼い始めた当初の申し訳なさがあったし、何より犬は家族だという思いが強くなってきましたから。子どもをどこかに預けて2週間も3週間も出かけたりしないでしょう。それと同じことなんです。
マージを飼い始めてしばらくして迎え入れたのが2頭目のワルテル。それから現在に至るまでずっと多頭飼いをしてきました。僕はデビュー当時から裏社会を舞台にしたダークな小説ばかり書いていたのに、とうとう犬と人間のハートフルな作品を書くようになってしまった。『少年と犬』の直木賞受賞にあたって選考委員の先生からは「犬とは卑怯な……!」という声もあったようですけど、もう25年も犬と生活してきたんだから、許してくださいという感じですよね(笑)。
「愛ですよ、愛」
犬の目は雄弁です。彼らはもちろんしゃべることはできないけれど、その分、嬉しいときは文字通り目をキラキラさせるし、叱られたときはショボーンと落ち込んだ色を見せる。目を見ていれば大体の感情は読み取れます。
これまで僕が飼ってきた犬はみんなバーニーズ・マウンテン・ドッグだけれど、彼らはとにかく穏やかで人懐っこい。一頭一頭性格は違うけれど、どの子たちも総じて感情表現が豊かだと感じます。人と一緒にいることを何よりも好む。だから僕もペットと一緒にいるというより、家族といっしょにいるという感じなんですよね。
マージは飼い始めてから10年後、胸にしこりがあるのが見つかり、病気が判明しました。告げられた余命は3ヶ月。東京では若い時の半分以下の速度でしか歩けなくなっていた彼女が、友人に招かれて遊びに行った軽井沢を溌溂と駆け回る姿を目にしてハッとしました。もしかすると最後になるかもしれない夏をここで過ごさせてあげたい、と1も2もなく別荘を借りることを決めたんです。結果的に土地を探して家を建て、軽井沢に居を移してしまいました。
早寝早起きをして、毎食犬のために食事を作り、とうとう軽井沢に移住までしてしまった今の僕を、ゴールデン街の住人だった20代の僕が見たらどう思うだろうか(笑)。
そこまで犬にすべてを捧げられるのはどうして? もしそんな風に聞く人がいれば僕はこう答える。
「それは愛ですよ、愛」
人間の愛って、ちょっとずるいじゃないですか。顔が好みだからとか、ちょっとお金をもっていそうだとか。だけど犬は違う。彼らは一切の打算なしに、飼い主のことを愛してくれる。
僕はいつも朝一緒に起きて、散歩に出かけます。ごはんを食べ、仕事を始めた僕の足元で寝て、夕方また散歩に行く。帰ってごはんを食べ、また少し遊んで寝る。特別なことは何もしていないけれど、そんな毎日を繰り返しながら、四六時中ただただ犬から無償の愛を受け取っています。僕の人生は、犬と出会って本当に豊かになりました。
25年間犬と暮らしてきた
常に群れのボスであれ
全国を対象とした調査では、犬の飼育頭数は879万7000頭にのぼる(2019年、一般社団法人ペットフード協会調べ)。世帯単位の飼育率を見てみると、12.55%と実に、約8世帯に1世帯が犬を飼っている計算になる。
多くの日本人が犬を飼う一方で、5年ほど前には、軽井沢の「ひと夏の犬」がニュースに取り上げられたことがあった。避暑のため訪れた軽井沢で犬を買い求め、夏が終わるとその犬を捨てていく人がいる――犬に関して日本はまだまだ「後進国」なのではないか、と馳氏は思うことがあるという。
飼い犬のことを大事にしている人は大勢います。でも残念なことに、犬のことをぜんぜん知らないまま飼っている人が大勢いるのも事実ですね。そもそも自分が好きで飼おうとしているのに、犬のことをなんにも勉強しようとしない人が多すぎる。
例えば、犬が真っ先に飼い主に求めることは何か知っていますか。それは、常に彼らのボスでいることなんですよ。犬は、完璧な階級社会の中で生きています。きちんと序列の保たれた群れの一員として扱われると落ち着く。複数の犬がいれば、自然と1番手がいて、2番手がいて、3番手がいる。それぞれ自分は何番手かしっかり自覚しています。
だから飼い主は、まず飼い犬のボスになる覚悟がないといけない。友達ではなくてね。それを理解せず、「かわいいペット」としてだけで犬に接してしまうと、犬は間違いなく不幸になってしまうんです。
ボス気質の犬がいないこともありません。でも、たいていの犬はボスに従って、群れで生きることに喜びを感じる。犬に近いオオカミは、トラやライオンほど強くはないから、群れで狩りをします。群れからはぐれてしまうと思うように狩りが出来なくなって、野生のネズミなどを捕まえて食うしかない。生存能力は一気に下がる。だから群れで生きるのは彼らの本能。犬もそういう生き物なのです。
鼻を齧って降参させた
群れで生きていく以上、彼らにはボスが必要。飼い主は威厳を持って接し、人間の方が上であると教えなくちゃいけない。それなのに人間がきちんと振る舞えないから、もともとボス気質でない犬が無理にボスにならなきゃと気を張る。だれかれ構わずキャンキャン吠える犬がいるのはそのせいなんです。本当は、先制攻撃しなきゃやられると思って怖がっているだけ。それは犬にとっても周りの人間にとっても不幸なことですよね。
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source : 文藝春秋 2020年10月号